ポチの消滅
テシノ

私にとって人生初の友達は、カトウさんちの犬ポチだった。
私の記憶の一番古い場所にあるその姿は、大きくて逞しいボクサー犬だ。
しかし家族に言わせると、ポチは茶色い普通の雑種犬だったらしい。
当時住んでいた住宅地には私よりも年上の男の子ばかりしかおらず、私もポチもしょっちゅうその悪ガキ達にいじめられていた。
しかし彼等は朝から夕方まで小学校に拘束されていたため、日が高いうちは私とポチの天下だった。

名前からもわかる通り、ポチは実に簡単な気持ちで飼われている犬だった。
門のそばに置かれた小屋に鎖で繋がれており、「よそのお宅に勝手に入ってはいけません」という母の言いつけを真面目に守る私のためにポチが門の外まで出てきてくれる、そんな逢瀬だった。
のちに聞いた話だが、母は私とポチの日々の逢瀬を逐一察知しており、私がポチに危害を加えられはしまいかとそっと様子を窺っていたらしい。
言われてみれば、ポチと別れて家へ帰る途中でばったり母と出くわす事が多かった気がする。
一人遊びが苦手だった私のために、母はたびたびカトウさんちへ挨拶に行ってくれていたようだ。
当時の私はそんな事も知らずにポチとの友情を育んでいたのだった。

ポチはとてもおとなしい犬で、私が遊びに行くといつもにこにこと出迎えてくれた。
そして、彼は賢かった。何せ人間語を話す事ができたのだから。
私達は飽きる事なくいつもおしゃべりしていた。
私が姉と喧嘩をした時には優しく慰めてくれたし、昨日の夕立で雷が何回鳴ったのかも彼は知っていた。
私は雷がとても怖かったので、ポチはやっぱりすごいな、と思った。
今思えば、ポチだって雷が怖くて仕方なかった筈だ。
だって犬というものは雷嫌いと決まっているのだから。
それでも、明日も遊びに来るであろう怖がりの子供のために、彼は小屋の中で一人、ビカビカと光る雷をじっと見つめていたのだろう。
やがて、ポチが見つめているであろう雷を私も窓から見るようになった。
それでも母に手をつないでもらいながらだったが。
今はわりと雷が好きだが、夕立の時にはふと考える事がある。
ひょっとしたらあの頃、私の方が犬語をしゃべっていたのだろうか?

ある日、私は道端で「ものすごくまっすぐな棒」を見つけた。
恐らくそれは通りかかったトラックから落ちたか何かの建築資材だったのだろう。
しかし幼かった私にとって、「ものすごくまっすぐな棒」が道端なんかに落ちているという事はとんでもない大事件であり、これはきっと何か特別なものに違いないと思った。
すぐにポチに報告だ。
私はその頃、自分の宝物は全てポチに見せており、そのたびに彼は私の宝物を褒めてくれたのだった。
12色のクーピーを買ってもらった時は、彼が少しうらやましそうな顔をしたのが気になり、どれか一本をポチにあげるつもりだと母に話した。
すると、じゃあ明日一緒に行ってポチに何色が好きか聞いてみようか、と言われた。
私はその提案にあまり乗り気ではなかった。
何故なら、母と一緒の時はポチが無口になってしまうからだ。
そして彼が母に尻尾を振るのも気に食わなかった。
次の日、案の定ポチは黙って尻尾を振るだけだった。
ポチはお前がそれで絵を描いてくれればいいって言ってるよ、と母は言った。
母が嘘をついている事はよくわかった、私は母がポチとおしゃべりできない事を知っていたのだ。
その日、それが何かはわからないが、私は心にざわめくものを感じた。
それ以来、私は宝物を母ではなくポチだけに見せるようになった。

ポチはこの宝物をどんな風に褒めてくれるだろうか。
何せただの棒ではない、「ものすごくまっすぐな棒」なのだ。
私はわくわくしながらポチの元へと向かった。
しかし、その日のポチはいつもと様子が違った。
私が門から覗き込むなり、いきなり吠えかかってきたのだ。
びっくりして身を引く私に構わず、ポチは突然「ものすごくまっすぐな棒」に噛み付いた。
そしてあっという間に私の手からそれを引き抜くと、そのまま小屋の中へ入って出てこなかった。
その時のポチは犬そのもので、私は泣きながら家へと走った。
こんな日に限って母は私がポチの元へ行った事を知らなかった。
大泣きしながらポチがポチがと叫ぶ私に相当驚いて、怪我がないかと確認した事だろう。
私はしゃくりあげながら何が起こったかを説明し、ポチが怖いと訴えた。
訴えながら、そうとしか表現できない事にもどかしさを感じていた。
今ならばわかる、私は怖いだけで泣いていたわけではないのだ。
いつもは優しい友の裏切りが悲しくて泣いていたのだ。
そしてその悲しみが私には怖かった。
それは私にとって人生初の友との喧嘩だったのだ。
母にはそれがわかったのだろう、泣き止んだ私にポチの所へ謝りに行こうと言った。
もしかしたら、ポチはあの棒で悪ガキ達にいじめられた後だったのかも知れない。
そう考えるとあの豹変振りにも納得がいくし、そうだとしたら裏切ったのはポチではない、私の方だ。
しかし当時の私には、そこまで考える余裕も脳みそもなかった。
ひたすらにイヤイヤをして、その後何日もポチの所へは行かなかった。

ポチとの思い出はここまでとなる。
私が彼と喧嘩をした数日後、カトウさんちに泥棒が入ったのだ。
ポチは一声も吠えなかったらしい、それが主人の怒りを買ったのだろう。
ポチがどうなったかは知らない。
母からは、カトウさんには田舎に親戚があり、ポチはそこで暮らす事になったのだと説明された。
そして私は次第にポチの事を忘れていった。

母と一緒にポチの所へ行った時の、あの心のざわめきは一体なんだったのか。
自分もやがては母と同じように、ポチと話す事ができなくなるだろうというかすかな予感だったのだろうか。
予定外にポチがいなくなってしまったため、私はその瞬間を体験はしなかった。
小学校に通うようになってから、我が家に一匹の子犬が迷い込んで17年間のさばった。
その犬が10歳の時にやはり迷い込んできた子犬が、今でも我が家にのさばっている。
今の私は、彼等と言葉を越えた何かでコミュニケーションしており、それでも特別不自由はなく、むしろ絆のようなものすら感じる。
しかし、彼等がふと私を見上げるその目の中に、時々ポチを思い出す。

恐らくは世界中の子供が、そんな風にしてポチの消滅を思い出すのだろう。


散文(批評随筆小説等) ポチの消滅 Copyright テシノ 2010-09-14 19:30:09
notebook Home 戻る  過去 未来