夏の亡霊
A道化

 ある夜のお仕事帰りに駅から自宅までの道を原付きで走行中、前を走るタクシーの後ろのバンパーに貼られたイエローのステッカーの『夏の交通安全運動実施中』という文字をなんとなく眺めていて、そのステッカーが『夏の』と『交通安全運動実施中』とに分かれているのに気がつく。夏が終わったら左の一部だけを『秋の』に貼り変えるのだろうか。そんなことをぼんやりと考えていたら、突如、無数の『夏』が捨てられてゆくイメージに胸がザァッと苦しくなる。夏が終わるころ、一体いくつの『夏』という言葉が剥ぎ取られ、洗い流され、消去され、焼き捨てられるのかしら。
 …あ。
 もしかして私、惜しんでいるのか? 夏を、悼んでいるのか?
 そう気がついて(…悪くない、)と笑う。ふふ!悪くないどころか素晴らしい。泣き笑う。

 化けて出たらいい、
 夏の肌、髪、その色、その熱、その音、その重さもその言葉もみんな、何度でも化けて出たらいい。秋になって冬になって1年が経って5年が経って私はときどきそれら無数の亡霊のひとつに知らず知らずのうちにとりつかれて操られて、ふと、語り始めるだろう。「そういえばあの夏、」というふうにして。



散文(批評随筆小説等) 夏の亡霊 Copyright A道化 2010-08-10 01:34:41
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