歓喜の海
佐々宝砂

最後の夜なんだからどうせなら
もっといい男と過ごしたかったよと言うと
そりゃ俺も同感だもっといい女がよかったよと
答えたその男をみると
なぜかそいつは夫でも昔の恋人でもなく
遠い昔に仲がよかった同級生で
どうしてそうなんだか知らないけど
まあいいや
手をつなげばつないだだけ暖かい

悪意の熱風を想像して
アナウンサーは泣いている
もう落ち着けと叫ぶ気は失せたらしい

それでもまだ放送を続けてるなんてさ
日本人ってまじめだよねこんな状況下でさ
と言いながら私はホテルの壁にもたれる

ホテルの向かいには
略奪のあとすさまじいコンビニ
しらじらと明るい店内灯が
倒れた陳列棚と
誰にも愛されなかった商品を照らしている

北へ逃げろと誰かが叫ぶ

明滅する帯電した埃を散りばめて
夜空は複雑怪奇な色彩
それを東西に両断する水蒸気の柱
低いうなり声が大気を揺らす
銀色の雨がアスファルトを融かす

ひとの群は南へと移動してゆく
昔の恋人も同級生も
もう見分けがつかなくて
ただ誰もが笑っていて
裸で
幸福で

部屋を片づけてなかったなあと思いながら
私も嬉しくてたまらない
熱くないあかい炎が
私のすべての指先に灯る
なんてきれいなのだろう
これまで私は
こんなにきれいだったことがない

南へ南へと叫ぶのは誰だろう
そうじゃないとそうじゃないと呟くのは何だろう
腐ってゆく海馬に電気を走らせても
私の足はとまろうとしない
南へ!
南へ!
南へ!
ああああああああああ!
心をひとつに
足並みそろえて走ってゆく

暗い太平洋には
歓喜が待っている



そういや私は三流怪奇詩人でしたので、
ちょっと初心にかえって昔の詩を投稿


自由詩 歓喜の海 Copyright 佐々宝砂 2004-08-21 04:16:39
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