Davidが我々を叩き落とす
いとう


呪い
というものについて考えている
地球が回って
日が照って
草花が生い茂って
我々は
そう
そのように生きていて
そのこと自体が
呪いであって。
祝福
と呼ばれるものはすべて呪いだ
我々は呪われて生きているのではなく
生きていること自体が呪いなのだ

ある朝Davidが満面の笑みを浮かべてやってきて
ねぇ、君。
いや、君たち。
君たちはdyubidyubaで
tyunyutyunyuだから
だからmenyuaotrusal。
mantios;fsnのために
mfnienjslしたほうが良いと思わない?
そう言ってDavidは
我々を叩き落とす
暗い穴の中にではなく
むしろ陽光の眩しさに目が眩むような
そんな
我々の姿がはっきりと見える場所へ
はっきりと照らし出される場所へ
はっきりと照らし出されて見えてしまう場所へ

いやむしろ今、
我々は暗い穴の中に潜んでいるのだろう
Davidだけがそれを知っているのだ
我々は追い立てられるように
Davidに叩き落とされ
そこで我々を知り
その後
どうなるかはわからない
我々がどうなるかを我々は知らない
けれどDavidだけがそれを知っていて
満面の笑みを浮かべるのだろう
陽光の眩しさのように
ではなく
慈雨の冷たさのように
ではなく
そしてもちろん
呪いでもなく
我々の知らない
何かのように



自由詩 Davidが我々を叩き落とす Copyright いとう 2008-12-15 14:49:55
notebook Home 戻る  過去 未来