ポエムのこと、を読んで思ったこと
れつら

書くこと、について、ミハイル・バフチンというひとの本を読まざるをえなくなって、
でも楽しく読んでいます。
それはもう他の読者の方に怒られるかもしれないくらいざっくり言ってしまうと、
「小説って人生に影響しないどーでもいい部分を描写するもんじゃん?」
って話です。
なお、対置される概念は「叙事詩」でした。
ざっくり分けて、文芸はその二つのどっちかでしょ、
って話でした。
全体的にざっくりしまくってるので、あんまり信用しないでください。
気になる方は検索してください。ちゃんと読んでください。

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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=170903

白井明大さんがこのような文章を書かれて、ポイントがばしばし入ってます。
僕は全肯定とはいかないでも、部分部分首肯するところもあるし、
やっぱり白井さんは立派だなあ、と尊敬するところもあるのだけれど。


さて。

・poemは、詩と訳すことができます。
ということと、
・poemは、(日本語の発音になぞらえるなら)ポエム、と読みます。
ということ、それから
・今、ある書かれたものを、ポエム、と誰かが呼びます。
これらは各々、全く以って別の事象です。

僕の言いたいことはこれで全てなのですが、
これだと都合の良い読み方をされかねないので、ちょっと説明させてください。
つまらんかもしれませんが、勘弁してください。
この文章は詩ではないので。

・poemは、詩と訳すことができます。
これは、翻訳の問題です。
・poemは、(日本語の発音になぞらえるなら)ポエム、と読みます。
これは、発音の問題です。
・今、ある書かれたものを、ポエム、と誰かが呼びます。
これは、感情と、ポエムについての思想と、関係性と、時代と、シーンと、
そのほかいろいろの問題です。

白井さんは、けっこうこの三つをぐちゃっとしたまま語ってしまっています。
別にこの話をしている段階は、白井さんの文章の主眼ではないようですし、
さらっと無視してもいいんですが、
僕は無視しません。なにしろ僕はいやなやつなんです。



たとえば、ポエマーという呼称を使うひとがいます。
僕はポエマーというやつについてはよくわからんのですが、
どうも詩人と同じ意味のような気がします。
これは白井さんがおっしゃっている、
「ポエム」と「現代詩」の問題と同じロジックです。
内実がそうなんだから一緒のことでしょ、っていう。

でも、僕はこの「ポエマー」という呼称がもんんんんのすごく嫌いです。
何故「詩人」では駄目なのか。
こんなこと言ってると頑固なおじいちゃんみたいですが、
別にそういう話ではないのです。
詩とはなんぞやー!みたいなところで、別に僕は腹を立てたりはしません。
ただただ、おもろい、とか、つまらん、とか思うだけです。
僕が腹立たしいのは、
「ポエマー」という名前を作ること、作られようとしていること、
そのいい加減さです。
こういう新しい言葉が生まれ出でていくのは一人ではできないことだし、
つまりこれは誰か一人の問題ではないのです、けれども。


何故新しい名前が必要なのか。
名前をつける、ということは、区別するということです。
ひとつの人格を生むということです。
お前と俺は違うんだぜ、ということです。
事実、違うんでしょう。
何が違うんですかね?

個のものに回収されない名付け、
往々にして、それは気分で行われます。
なんかこう呼んでみちゃうぜ☆みたいなかるーい気分や、
てめーらなんかと一緒にされてたまるか!みたいな重ーい気分です。
まあどっちでもいっしょのことですし、
僕は名付けそのものを否定するわけではありません。



問題は、詩においてそれが行われているということです。
だいぶ昔、僕は当然生まれてなかったころですが、
世の中の詩はおしなべて定型詩というやつでした。
そのもっと前はもっとゆるかったそうですが、
まだその頃は誰も詩についてまとめようとしたりしていませんでした。
それから僕が生まれるよりしばらく前に、
自由詩という運動が起こりました。
それから僕が生まれました。
僕にとって、ぼんやり詩としてイメージするのは自由詩のことです。
特に口語自由詩というやつがそのど真ん中にいます。

僕にとっては、です。
これは、詩とは何か、の問いの答えには、全然なりません。


あー話が長くなってきたうえにまたわかんなくなってきた。
もういいや、はっきり言う。言います。


「ポエマーって何する人なの?詩人とどう違うの?」


この問いと、白井さんのかの文章のなかで問われた、
「現代詩って何?ポエム(=poem=詩)とどう違うの?」
という問いは、同じ問題を孕んでいるのではないですか、と。



ピナ・バウシュは、結局はバレエの系譜を引くダンス作家です。
但し、作っているものはバレエとは言わないほうがよいでしょう。
それは彼女が明確に意図して「非バレエ的」なアプローチをしているからです。
かといって、彼女がやっているのは日舞でも舞踏でもジャズダンスでもない。
じゃあなんと呼べばいいんだね、ということになります。
彼女は自分のカンパニーを、「タンツ・テアター」と呼びます。


名前をつけたのが先か、そういう作品を作ったのが先かはわかりませんが、
「名付け」とは、僕はそうあってほしいと願います。
僕には、「ポエマー」という単語が、
どうもそういう誠実さといっしょに聞こえてこないのです。
別にポエマーと名乗る人が作品に対して誠実でないと言っているのではありません。
というかそもそも、作品を作るうえで誠実であるのが美徳かどうかさえ謎です。
でも、少なくとも、「名付けること」に関しては、誠実であるほうがいいと思います。

だって、僕はそんなのかっこわるいと思うもの。
コーヒーでえす、って言って、空のコーヒーカップ出されたら、
たぶん殆どの人が怒るか呆れるか、よくて笑うかでしょ。
狙ってやってるならまだしも、ですけど。




白井さんは、「抒情につっぱしることはたしかに、時に危険がつきまといます。ですが、その危険を知り、あえて、その危険のなか、抒情につっぱしることが、詩なのです。現代の詩なのです」といいます。
僕はそうかもなあ、とは思います。
でも、僕にこれが認められるのは、
「詩」が名付け得ない漠然とした総体に対して投げられた言だからです。
だから、そうかもなあ、とは思うけれども、そうではないかもなあ、とも思えます。




勿論、問い方が変われば、答えも変わります。
クエスチョン。
「面白い現代の詩って、どういう詩ですか?」
現在の僕の答えはこうです。
「抒情につっぱしることは、時に危険がつきまといます。ですが、その危険を知り、あえて、その危険のなか、抒情につっぱしったものが、おもしろい詩なのです。おもしろい現代の詩なのです」




そう。
詩人です。
そう名乗ることは、かっこいいと思います。
詩を書いています。
その矜持を持つひとは、潔く、美しいと感じます。
詩人だからかっこいいということではないです。
なんだかわかんないものに対して、
なんだかわかんないけど、そうとしか言えないからとにかく突っ走るぜ、
という強い意志を感じるときに、それがかっこいいと思うのです。
ポエマーです。
そう名乗るときに、これに比肩するかっこよさをいかにして身に着けるか。





白井さんも引用されている、タッキーの超かっこいい一行があります。
「全人類よ、軽々しく詩人と名乗りなさい」
でも、その後には、こう続くんです。
「そして落とし前をつけなさい」

やっぱりポエマーも詩人と同じだと思うんです。僕は。


散文(批評随筆小説等) ポエムのこと、を読んで思ったこと Copyright れつら 2008-11-16 20:40:30
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