夏の弔い
亜樹

 夏というのは、その極彩色の明るさとは裏腹に、死の季節だ。
 そのまぶしい日の光と対照的に、くっきりと落ちる影のように、その陰惨な気配は、始終里を覆っている。
 年寄りの多い田舎では、夏になると葬式が急増する。連日の熱帯夜が、老人たちの最後の体力を、容赦なく奪うのである。
 どんなに暑い日も、彼らは冷房をつけない。ただ日陰日陰へと逃げ、そうして追いつかれる。死の気配に。
 寂しい老人は、友人を呼ぶ。最初の一人が死んだなら、それを皮切りに訃報がひと夏続くのだ。
 はためく鯨幕と、黒い人の群れ、火葬場まで続く車の列は、風物詩といっても良いくらい、青々と稲が育つ田の脇に馴染んだ風景となる。

 日陰に群れていたからすとんぼが姿を消し、最後の蝉の声が消える頃、里はようやくその連鎖から逃れられる。収穫の季節である。秋という言葉がもつ郷愁は、里の中でしみじみと里人の心に響くことはない。あわただしくもにぎやかな収穫の合間に、里人は重たく暗かった夏を忘れ、ただ今年の米のできのみに一喜一憂をし、晴れ晴れと笑い、酒を飲み、芋を喰らい、大いに楽しむ。

 そうして、全ての田が丸裸になる頃、忘れられた死を悼んで、畔道は真っ赤に染まるのだ。
 彼岸花は、夏の弔いの花である。


散文(批評随筆小説等) 夏の弔い Copyright 亜樹 2008-10-06 19:30:06
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