弟と驟雨と鯉
りゅうのあくび

耳の周りや頬の近くやらを
冷たく刻み込むような
秋の驟雨が染み込む
家路を逝く靴音には
永い冬の訪れを
哀しむようにして
静かにアスファルトを
夜空よりも黒い色に変えてゆく

 *

地下を潜る
水道管でできた迷路の
奥深くでは
とても悲しい汚水の淀みに
遠く孤独な恋の焦燥や
おのれの信仰から
消え去っていく世の憐れみや
数多くの生命の体液も
そして都会の喧騒でさえも
暗闇の刹那にあって
溶かされていく

 *

豪雨の
巨大都市メトロポリスのなかに佇む
たくさんの窓には
塵の混じった涙が流れ
二十分もしないうちに
すぐに大河みたいになるのだった
水処理場で仕事をする
地下に棲む男たちによって
都会に淀む濁った大量の涙は
再び清らかな
水へと還ってゆく

 *

厚く重たい雲のなかで
見えない月は浮かび
豪雨のもとで
河川の喫水線を超えた
大量の汚水に何十匹と云う
とても大きなカープの魚群が
水処理場へと到着する
水流に紛れて
打ち寄せられると云う

 *

弟は来る日も
現場の職務に当たる一人の人間として
スクリーンと称される
ろ過装置が破砕しないように
たくさんのカープをコンテナと呼ばれる
焼却用の運搬装置の中に
涙を浮かべては
次々とカープを投げ込んでいくのだった
野球を好きだった弟は
職場の仲間同士で
まだ息のあるカープの鎮魂歌として
広島東洋カープの応援歌を
一緒に歌いながら


□広島東洋カープ□
赤いヘルメットをトレードマークとするプロ野球球団。
広島県広島市を本拠地とする。
ちなみにカープは英語で鯉の意味。


 *

流れからこぼれ落ちようとする
カープは寓話の中だけでしか
生き続けることしかできずに
黒い鋼でできた
滑車の付いたコンテナへと
同僚の手から手へと渡されては
運ばれていった

 *

ゲリラ豪雨が降る日には
家に帰っても
ずっとカープの唄を
引き締まった声で
歌い続けていた
夢中になって真剣に
空を仰いでいた
弟は大きく息を吸って
そして吐き出していた
虚空に流れた
小さな涙の跡は
もはや乾いていた

 *


彼はその仕事を
やめている
同じ飯を食べて
一緒に過ごした
東京からは離れて
広島の田舎に帰り
祖父と祖母の介護をしながら
農業の勉強をしている
綺麗な水の湧く大地で
新しい恋と云う
一輪の花を植えるために


自由詩 弟と驟雨と鯉 Copyright りゅうのあくび 2008-09-30 21:21:53
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