「 空白、の。 」
PULL.







一。

 バスは坂に入っていた。眼を閉じると、からだが傾き、後ろに引かれる、背中が軽く、座席に押し付けられる、わたしのからだは軽いので、座席はゆっくりと、わたしを押し返す、坂がきつくなり、わたしのからだはさらに傾く、わたしは引かれ、押され、そのどちらともつかぬあいだで、漂っている。


二。

 白い。四角く切り揃えられた視界の中で、彼が微笑んでいる、わたしが何か言おうとすると彼は首を振り、唇に指を当て、わたしの口を閉じる、わたしは何か言いたくて堪らないのに、彼にそうされると何も言ってはいけない気落ちになって、何も言えなくなる、何も言えなくなるとわたしは、何も考えてはいけない気持ちになり、何も考えてはいけないことばかりを考えてしまい、それを、口に出して彼に言いたくなる、だけど彼は白衣のポケットからいつもの紙の束を取り出し、それでわたしに話しかける、彼の文字はかたく角張っていて、わたしの眼は、いつも痛くなる。


三。

 ぐうん。不意に強い力で引かれ、振り返ると、少年がいた、少年はまだ男の子といった方がいいぐらいの年にも見えたが、澄んだ夜空を思わせる眼が、もう自分は男の子ではないとわたしに語っていた、少年は、わたしの眼を指さしていた、わたしがその意味を解らずにいると、座席越しにそっと近づき、指で、それを拭ってくれた、わたしはようやく自分が泣いていたことに気が付いた、気が付くとそれは実感になり、実感になるとそれはとめどなく、止まらなくなった、泣き出したわたしの肩を遠慮がちに少年の腕が包む、少年の音が聞こえる、とくんとくんと、少年は鳴っていた、バスはなおも傾き、わたしのからだは少年に押し付けられる、坂の上に着くまでにはまだもう少し、時間が掛かりそうだった。


四。

 彼を読む。わたしの指は揺れている、筆先が白い紙に擦れ、はたはたと黒い染みを作る、染みははじめは小さいただの黒点だが、徐々にぼやけ大きくなり、わたしの心を書き出す、だけどわたしの心は彼の読みたいものではなく、だから彼はよりかたく角張った文字で彼を書き、わたしの眼を、痛くする、わたしはすべてを閉ざし、何も読みたくないはずなのに閉ざすことができず彼を、読み続けている、彼は書き続け文字はどこまでも続きやがて彼は紙を使い果たし、壁に、彼を書きはじめる、壁が彼で埋め尽くされる、彼が四方から壁となってわたしを覆い尽くす、わたしはからだじゅうが眼になったように、痛くなる、いなくなる、ある夜、書き疲れた彼を残し、わたしは部屋を出る、扉をかたく閉め、長い廊下を這うように歩き、何度も何度も後ろを振り返りわたしは彼が、彼の文字が追ってこないかを確認する、わたしはひとり外に出て、バスに乗る、バスの中には運転手の他に幼い少年がひとりいて、わたしはその前に座る、眼を閉じる、バスがぐらりと揺れ、発車する、瞼の向こうで彼が平坦に、遠ざかってゆく。


五。

 坂の上は空に近く、手を伸ばすと、青い、雲ひとつない空に触れられそうだった。風が、わたしの横を通りすぎた、振り返ると少年がわたしに向かって手を降り、何かを叫んでいる、わたしは何もないそこに手を当て、耳を、傾ける。












           了。



自由詩 「 空白、の。 」 Copyright PULL. 2008-09-13 09:08:47
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