【デジタル詩集経済批評】 亡国に吹きすさぶ詩人たちの「心」には Ⅰ
りゅうのあくび

***Electric Book Market System を整備せよ***
1.言葉のマーケットには、経済学だってある
2.「心」とは、売るための商品である
3.詩人として日本に生まれて



1.言葉のマーケットには、経済学だってある

政府は公共事業政策を改めるべきである。これは言い尽くされた言葉だが、最も必要なインフラストラクチャーとは、橋でもなく道路でもなく箱モノでもなく、それは平穏なる民草の「心」が、機会均等と公然の信用の名の下に、「心」を売ったり「心」を買ったり、安全にそれを出来る場所である。つまりそれは、安心して詩の買える場所でもある。現時点では、本当に安心して詩の買える場所も中々見つからないだろう。それは、安心して詩を作り売るための場所が無いからに他ならない。政府は、目には見えない「心」の流通マーケットのインフラストラクチャーをインターネットネット上に早急に創るべきである。   

それについては、原型のマーケットがインターネット上にもある。それは、電子書籍の市場である。知らない人も多いだろう。その理由は、端から見ていても、市場としてはほとんど機能していないと言っても良いマーケットだからである。一部のマニアアックな客層しか存在せず、客層を育ててはいないマーケットだからである。しかし、そこに、政府は、現状のところ市場原理の全く働かない電子書籍市場を、機能不全を起こしている市場とみなして、公共事業政策の対象として強く介入に出るべきなのである。

市場というべき市場はみな、新しい商品を失っている。次に売るべき商品は、「心」であるのだと思う人も多いだろう。皆でどうやったら、安心して「心」を売れる場所が作れるのか真剣に考えるべきなのである。出版業界の停滞。詩の業界の主要な部分と目される出版業界は、出口の無い出版不況に陥っている。インターネットもその原因の一つだと言われる。しかしもう一方の原因についてが重要だ。まるで解釈のない個人情報保護法を主体とした保守主義が台頭していることが原因だろう。それは、糸の切れた凧のようなネット政策でしかないと言って良い。ターゲットとしているのは、個人情報を売りさばくネット詐欺師の連中だけだからだ。個人情報保護法は著作権法の基盤法であるはずだ。ネット基盤法であるといっても好いだろう。「心」のマーケットを政府の公共事業政策の対象として見做すべきである。その意味で、改めて個人情報保護法の整備拡充を行う必要がある。

したがって、政府は、インターネットの多数あるWebサイトには、どこからでも乗り入れが出来る著作権保護領域を大幅に増やす必要があるだろうし、そのために、著作権危険領域をネット上に策定し、「心」の市場価値を守るため、ネット警備隊を組織するべきであるだろう。もちろん、言論の統制ではなく、ここでは、言論のマーケットの統制を早めにとるべきだとの結論を付けたい。

2.「心」とは、売るための商品である

「心」とは、売るための商品であるという考えを、日本中に遡及すべきである。そう、「心」とは、買うことが出来る商品でもあるのである。「心」が商品にならなくては、詩も売れないだろう。「心」の売れ行きが悪ければ、それは、詩人の「心」が死にかけた今、新しい商品の登場は少ないとも言い切れるかもしれない。それは、多くの商品の息吹である言葉が死にかけているからであると、言っても過言ではないからである。とても、哀しいことだ。胸がつまる想いである。もっと、さまざまな市場の中に、詩人の言葉を取り込まなければならないだろう。絶対多数の「心」が生命の息吹を取り戻すためには、多くの詩人に、そして、詩に生命の息吹を吹き込む必要がある。

例えば、それは、言葉のマーケットの現状として、音楽の世界では、リリック(詞)→ポエム(詩)という方向性はあっても、ポエム(詩)→リリック(詞)という方向性は、数少ないことにもよるだろう。詩人は、リリックを産み出すべくして、多くのストリートミュージシャン達と手を携えなければならないと思う。もちろん、それは、詩を世に送り出すことの立場にいる、詩人自身の胸の中にも、その特定の詩の作品の意図にもよるだろう。詩人は、詩の世界では、神さまにだってなれる、ということを忘れてはならない。「心」のマーケットシステムでは、簡単に詩を買えて売れる。そのための仕組みさえ作れば売れるのである。売りオペと買いオペを簡単に作れるシステムで、それを利用することができれば、著作権の壁を越えて、たくさんの詩人発の音楽が生まれることだってあるだろうと思う。

また、詩人は、詩を作るという立場をもっと強くするべきだろう。詩は売れません、という、出版社の営業トークに、不都合なことを思う詩人は山ほどいる。出版社は、わかっていて、詩人を食い物にする場合もあるからだ。そこには、涙も汗も流れない、言葉に市場原理が働いていない日本経済の危機的現状が大いに関わっているといってもよいだろうが。政府は、言葉のマーケットに関しても、強く介入すべきである。もちろん、言論に介入するのではない。言論のマーケットに介入すべきなのだ。ネット政策により、または、芸術活動保護政策により、言葉のマーケットを強く維持すべきである。そうでなければ、言葉の流通はいずれ、もっと今よりも少なくなり、あらゆるレベルの犯罪、貧困の温床を生み出す結果となるだろう。

したがって、政府は、「心」のインターネット・マーケットに関しては、ソフトインフラである法制・インフォメーションシステム、ハードインフラであるマーケット組織を両立して整備・拡充すべきである。それは、東京でもいいし、東京じゃなくても構わない。

3.詩人として日本に生まれて
 
詩人は、何のために詩を書くのか、それは、詩が好きなことに他ならないわけだが、詩が好きな人間は、貧乏になるしかない。それが、詩の制作の現場であり、ネット詩人が日本を亡国化する可能性だってあるぐらいだ。

哀しいかな、詩は本当に売れないのだろうか。僕は、本当にいい詩だったら、本当は、詩は売れるものだと思うのだ。詩人の名前に頼ることもなく、売れるものだと思う。逆を言えば、本当にいい詩だけが売れる世界は、日本ではないのだ。谷川俊太郎さんは、素晴らしい詩を書くことは皆が知っている。だが、谷川俊太郎さんではない詩人もたくさんいるし、詩でしか食べてはいけないという詩人がたくさんいるだろう。これも、真実であると、僕は思う。

多くのネット詩人は、自らが著す詩の尊厳と向き合わなければならない時が近いうちに必ず来ると僕は、思う。それが、今かどうかは別にして、指先からこぼれる詩が無為に、ただ漫然とした世界に流れ出していくのを止めなければいけない時が、来る。時代は感じるよりも流れるのが早いとよく言う。詩を書く感性のための時代が、僕は、必ず来ると思っては、それをはばからない。
                         
2008.8.12 竜野息吹 東京にて



散文(批評随筆小説等) 【デジタル詩集経済批評】 亡国に吹きすさぶ詩人たちの「心」には Ⅰ Copyright りゅうのあくび 2008-08-12 22:25:35
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