駅・橿原
たりぽん(大理 奔)

二十代の頃。駅を出てパチンコ屋の横をすり抜け、剣池へと続く緩い坂道の途中の小さな倉庫で働いていました。昼はお皿だけおしゃれなお好み焼き屋とか、ちっぽけな食品スーパーのお総菜とか。定期券を使って駅の中にあるハンバーガー屋で食事をすることもありました。もう授業が始まってる時間だというのに、制服姿の学生が楽しそうでも寂しそうでもなくシェイクを飲んでいたりして。

ある時、超古代史オタクっぽい旅行者に話しかけられたことがありました。蒸し暑い日だったから、きっと夏休みの真っ最中だったと思います。二人とも眼鏡をかけていて、とてもおしゃれに興味があるとは思えないファッション。でも何となくかわいい感じがする女の子でした。きっかけは「あまがしのおか」への道を訊かれたことでした。なんでも奈良盆地を走るレイラインというものがそこを通っていて、聖徳太子や蘇我入鹿もレイラインの通る井戸から神秘の力を得て朝廷に君臨していた、などというお話まで聞かされたのでした。ちょうど仕事場の前の緩やかな坂道を剣池の方にまっすぐ進めば「あまがしのおか」に着くので、午後の始業時間に遅刻しそうな私は二人の話をぼんやりと聞きながら仕事場に戻りました。別れ際には手を振ったかも知れません。しばらくして、飛鳥川にとんぼの季節が来る頃。私の職場は斑鳩の法隆寺の近くに移転してしまい、すっかりそんな事なんか忘れてしまいました。

それから数年たったでしょうか。もう三十を迎えようとする春の日。私は石舞台の桜が見たくなって一人懐かしい改札をくぐったのでした。なぜ石舞台だったのかは思い出せません。桜は満開でした。石舞台を見下ろす高台から見下ろすと桜は私の歩いてきた道伝いに列をなしていました。駅までそれは途中、途切れとぎれになりながら、それでも生命の川を辿るように。飛鳥の桜がどこの桜よりも輝いているように思えたのはすこし西に傾いた太陽のせいだったのでしょうか。

ふいに夕日の影に「あまがしのおか」に登ったあの二人が思い出されました。赤い丸渕の眼鏡やボーダーに水玉のロングスカートが思い出されました。そして、どうすればどうすれば、この風景を二人に伝えられるだろうかと思うと、静かにかなしい気持ちになりました。それはなぜかとてもかなしい気持ちだったのです。

駅に戻ると、もう授業が始まってる時間だというのに、制服姿の学生が楽しそうでも寂しそうでもなくシェイクを飲んでいました。道の途中、ちっぽけな食品スーパーはもう、なくなっていました。



自由詩 駅・橿原 Copyright たりぽん(大理 奔) 2008-04-08 01:10:19
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