鬼の左手 (1/3)
mizu K

ひとつぶのしずくが、ぽおんと空から、落ちてきて、それは
鬼のまぶたにしみとおり、ひとみを濡らし、目からあふれさ
せた、鬼は、目の玉からあふれるものをぬぐおうとしました
が、左腕がないことにはたと気づいてうろたえていたのです

人の朝に起きて方々から笛や太鼓の音、耳には聞こえども今
のいままで姿は見えなかったもの、昼下がりさがった神輿を
担ぐ人びとの足のすきまから垣間見た祭りの景色の正体は、
鬼火、それをみた人は三日を待たずして連れ去られるといい
ます

大路の大門は廃の場と化し、既に人の姿はまれとも見えず、
宵闇のひたひたと背を凍えさせる闇の音に、影の姿におびえ
て閉じこもり、闇のなかをさらに黒い異形の姿が、松明にゆ
らゆらゆらゆらしており、酩酊前夜の青白い女人の溺れたよ
うに冷えきった指先のごとき秋水でひとなでされたとき、鬼
の左腕はその後の感覚を忘れ、今ごろ気づいてみれば、まな
こからあふれるしずくをぬぐうことができないでいたのです

数えきれぬほどの子どものあまたのあたまをひとつひとつ喰
らいつくして、鬼は両の手をあかあかく、朱けに染めいし吉
野の山から洛京に流れてきたのでした

大路からずいぶんとはずれた、白蟻にくわれて崩れかけた木
戸がひしめく区画の一角の破れた格子戸の暗い穴をのぞいて
みれば、足の細った幼子がちりりちりりと鈴を鳴らす音、土
間の暗がりは徐々にその範囲を広げていくように思われ、終
にはその家の内部を覆ってしまう日も来るやも知れず、鬼の
目が破れ目からぎょろとのぞくから、ゆめゆめ目を合わせて
はなりませぬ、もし合わせたら、三日を待たずの宵のうちに
大路の大門の外に連れ去られて頭から喰らいつくされると、
母は脅すのです

水のない月であるから水無月というのか、もうひとしずくも
降らない日が何日も続いて日照り、もうじき疫病が流行りだ
すだろう、といううわさ、また病の発する我らが町の者たち
は洛外へ連れ去られて戻ってくることはないのでしょうか

鬼、鬼だ
鬼とは大門で待ち構えているものではない
人の心に巣食うのが、鬼だ
人の暗闇にらんらんと目を光らせ
祭りと政りの狂乱を眺め
歯を剥いてにたにた笑っている

飢饉ともなれば、鬼が大路といわず小路や町のすみずみまで
徘徊してまわる真昼の朦朧とした炎天下のなか、人の姿を装
い鬼の影を宿したものが、ゆらゆら、ゆらゆら、陽炎にうご
めくのです

もう幾度か宮の方角から白い煙が昇るのを人々は見ていまし
たので、もしやそろそろ雨ごいの願がかなうのではないかと、
朱けあかい西の空になにかしらの兆しがないかと、うつろな
瞳をむけているのです、また明日も焦げるような暑さがやっ
てくるのでしょうか

薄暗い土間にちょこんと座っていた足の細った幼子の小さな
鈴ふたつ、ちりりちりりと鳴る音が往来にもかすかに聞こえ
る昼下がり、かすれた声は、あな、うたごえか、読経か、今
にも切れそうな細糸のようにか細く耳に届くのです

さて、


(2/3)http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=140514 に続く

*m.qyiさんのwebマガジン「the contemporary poetry magazine vol.3」参加作品
http://www.petitelangue.com/CPM3/index.html



自由詩 鬼の左手 (1/3) Copyright mizu K 2007-11-18 14:47:55
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