ロシアパンを売る少女(reprise)
mizu K


いいつたえられているむかし話がある
むかしむかしあるところに
氷でつくられたある高い塔のてっぺんに
それはそれはうつくしい緑の袖のお姫さまが閉じこめられておりました


「ロシアパンを売る少女」
という絵の傑作が
かの古都プラハの国立美術館にある

市でにぎわう人びとの喧噪から
ややはずれた位置に立って
質素な身なりをした少女が
しずかにパンを売っている
彼女の背後には冬枯れの楡と
閉ざされた窓
バルコニーの花をつけていない鉢
石だたみにのらいぬ
こねことこねこがじゃれあって

落ちる日のはやさにまけじと
だれもが足早に歩く
まちかど
ひとり
立ち
パンを売る
その姿

夜には同じ場所で
あいつらがロシアンルーレットに興じるのに
その同じ場所で
ああなんてことだ
チェロ弾きがアニュス・デイを弾いている
冬枯れの午後

路上の絵描きが
わら半紙に絵を描いて売っている
たとえばそれは足早な人の顔
つばを吐きすてる顔
ゆかいに肩をならべて歩く酒のみ
赤子を抱えてつかれた様子の女
枝きれもって世界にこわいものはなにもなしの子ども
ステッキをもち人生の夕べに三本足で歩く老人
ぺたんと座った絵描きの目の前を
多くの足が通りすぎていく

その貧しいロシアパン売りの少女は
「ロシアパンを売る少女」という絵が
国立美術館にあることも知らず
それが傑作とよばれることも知らず
今日の糧を得るためにまた街頭に立つ

市でにぎわう人びとの喧騒から
ややはずれた位置に立って
野菜売りも花売りも新聞売りも
靴みがきさえも声をはりあげているのに
なにも言わずにただだまってパンを売っている

あの子は生まれつきしゃべれないんだってさあ
耳は聞こえるのかね
そりゃ勘定はしっかりしてるし
あたしはあの子のおつむを心配しているのではないのさ
あれ わたしはありがとうと言うのを聞いたよ
あらそうかいじゃあしゃべれるのかねえ
それでさあ あの子にこっと笑うじゃないか
ほっぺがちょっと赤くて
うちの子がもうほれててさ
オレがパン買いに行くからって

風が吹いた

それじゃあね
あいかわらず凍てつくね
まあ冬はこうさ毎年のことだけんど
春にのぞむには
こうした寒さがいいのさ

おまえはなんということを!
王女さまは殺されましただと!
なぜおまえは姫さまがすでにお亡くなりになったような口をきくのだ
神懸けて二度とそのことばは口にするな
王女は、幽閉されたあの方は
すぐにでも太陽の光をご覧になるだろう!

それはもうすぐくる春の光
春の太陽の光!
鳥がはこぶやわらかな風と
緑のいぶき、いぶき、いぶき!
凍てついた人びとの心をとかす、いぶき!

風が吹いた

市でにぎわう人びとの喧騒から
ややはずれた位置に立って
しずかにパンを売る少女はかすかに
その風のなかにほんのかすかに
春の喜びがまじっていることに
気づいて
ほおをすこし赤くしたのは
外気の寒さのためであったか
おとこのこがパンを買いに来たからか

冬枯れの楡の枝にはもうすでに
芽吹きのための力をたくわえ
今はまだ力をたくわえ
その日を
じっとまっている



自由詩 ロシアパンを売る少女(reprise) Copyright mizu K 2007-11-06 23:58:58
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