てのひらから
mizu K

てのひらから青い地球がころりとこぼれ落ち
てしまったので、園児たちはみなぽかんと口
をあけて空の穴を眺めていた。外は真昼で季
節外れの台風のように雨が降っている。降っ
ているのに空は晴れている。明日は気温が2
0度まであがるらしい。てのひらでころころ
転がっていた青い地球はひょいとこぼれ落ち
て床にからんとはじけた。スザンヌはそれを
"small blue thing" と名づけていた。階段を
転がりドアをくぐって歩道へ。打ち上げ花火
のように空へのぼり、雨が青くあおく、降る、
真昼の青い空から。室内から見る外は真昼で
庭では園児たちがぽかんとつっ立ってみな口
をあけて空の穴を眺めていた。

マフィとよばれている子の名前はまふゆとい
って、それは村山さんの小説の登場人物とお
んなじ名前なのだけれども、冬なのに季節外
れで20度まであがった外気はおよそマフィ
というたたずまいとは異なる。ただ、銀座を
歩く年末の人びとは異常気象なんててんで気
にしていない風で、年の瀬のバーゲンセール
で、いやあああバーァァァゲンンンンよよお
おお、という感じで戦争している。本当に良
い商品がバーゲン品のときは、会場は潮が引
いたように静かだ。

そんな光景を眺めながら私は、聴覚障害の人
の集いで大勢の人がいて、人びとは久しぶり
の再会にとても饒舌なのに、おそろしいほど
静かで、それはみんな口でなく手話で話して
いるからだって。そういう話を聞いてカルチ
ャー・ショックを受けたことを思い出してい
た。それは、そう、今までてのひらでころこ
ろと遊んでいた青い地球が何かの拍子にころ
んとてのひらからこぼれ落ちたときのあっけ
なさとおどろきとすこしの寂しさに似ている。
外は真昼で風が強くて落ち葉がくるくるまわ
っている。風が強いので髪の長い人の髪もく
るくるしている。髪の毛が飛んでいるのをな
んとかつかまえようと追いかけているおじさ
んがいる。スカートがマリリンみたいに飛ん
でくれないかと期待したけれどオフィス街近
辺の女の人たちのスカートはみんなタイトだ。
園児たちはみんな手をつないで仲よく縦列に
なってわいわい歩いている。枯れ枝をもてば
ぼくは世界一強いんだ。ぼくは君を守ってあ
げるからね、まりちゃん。そんな園児たちの
列にワゴンカーが突っ込んだ。

とびちるとびちるとびちるとびちる
なにがとびちるかってそんなのわかるもんか
このよのものでないようなおとがして
ちいさなおんなのこのひめいがきこえて
わかいせんせいがかばうように
たおれてうごかなくなって
ねえせんせいどうしたの
どうしてしんだふりしてるの
くまなんてどこにもいないよねえせんせい
なんかちがとまらないでどくどくいってる
しんぞうのおととおんなじように
どくどくちがでてるよ
ねえまりちゃんのあしが
あしがへんなふうにまがっているよ
あたまがいたいんだがんがんするんだ
まま
ままあたしさむいさむいさむいようまま
のどにへんなかたまりがあって
いきがいきがいきが

私は事故現場を歩いてみた。救急車が何台も
やってきて走り去った後には小さな靴や帽子
が転がっていたそうで、歩道の点字ブロック
がどす黒い。ブロック塀に前面をぶつけてワ
ゴンカーが止まっている。ブレーキの痕跡は
なかったらしい。ワゴンには早くもスプレー
の落書きがあった。「人ごろし」

てのひらから青い地球がころりとこぼれ落ち
てしまったので園児たちはみなぽかんと口を
あけて空の穴を眺めていた。その一瞬の時空
のはざまに青い地球はこぼれ落ちてこどもた
ちを連れ去ってしまった。なぜハーメルンの
笛吹き男のようにせめて陽気に楽しく山のふ
もとへ連れ去ってくれなかったのか。私は呆
然として気温のあがりすぎた青空を見上げて
いる。真冬というにはあまりにも不釣り合い
な日ざし。太陽は年々凶暴になっていってる
気がする。60年前、この国には太陽が2つ
空に出現するときが2度あった。90年代の
終わりごろには世界はゆるやかな共同体に囲
まれ、たとえば日本海を囲む経済共同体がで
きて、国家の枠組みなんてすこしずつ解体し
て意味をなさなくなってくるんじゃないかっ
てそんなことを思っていた。守るものなんて
きみのてのひらを、やわらかくつつんでみる
ことくらいしかできないのに。うつくしいも
のは私のうちにあるもので、たぶん、それは
きみとはまるで違うものだろう。もう、どこ
にも地表を焼きつくす2つの太陽は。

さて、そんな話をしながら日も暮れてきたね。
話をてのひらの青い地球のことに戻そう。も
しかしたら、そう、もしかしたらだけど、こ
の広い世界のどこかに神さまがいて、その神
さまのてのひらの上で青いビー玉が転がされ
ているとしたら。それはもしかしたら私たち
が地球と呼んでいる星かもしれない。それを
ずっと転がし続けるかひょいと床に落として
しまうかは、それは神さましか知らない。そ
う、この国は多神教だったね。八百万の神々
がいて、すべての物象にたましいが宿り、そ
う、君の瞳にさえも君の腕時計にも。とか言
いながらお正月には初詣をしてお葬式は仏式、
クリスマスにはパーティをして、なーんてこ
とは言い古されていることだけれども。スザ
ンヌ、君はカソリックだし、マフィはどうし
てか密教。私はゾロアスターだし。ってこれ
はうそだけど。

さてシチューができたようだね。さあ、アイ
リッシュ・シチューだ。食べようじゃないか。




自由詩 てのひらから Copyright mizu K 2007-06-28 02:57:49
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