春の裁判
ワタナベ

某月吉日 某所にて

異議あり、裁判長、今の発言は原告の名誉を著しく損なう発言であると思われます。
被告人には発言の撤回を要求します。

異議を認めます、被告人は口を慎むように。

ではここで原告側の証人喚問を行いたいと思います、彼女は被告人と同じ都内の会社に勤めるA子さんです。

A子さん、証人席へどうぞ。


「A子さんの話」

彼は普段はおとなしい人でしたが、春のこの時期になると少しおかしくなるんです。
五月病、とでも言うんでしょうか。でも別に鬱がひどくなるとかそういうわけではないんです。
五月のこの時期ってたんぽぽの綿毛が飛びますよね。ふわりふわりと、たくさんの綿毛が。
風は心地いいですよね。夕方、だいたい6時前頃に吹きはじめる風は、
なにげなく窓をあけるとほほをくすぐったりして、むっと暑い西日の差し込む部屋の、
窓を開けたとたんにすがすがしい風が通り抜けて、書きかけの日記をぱたぱたとめくって、
日記はいつも白紙のページを開くんです。そう、白紙のページです。

次に被告側の証人喚問を行いたいと思います、彼は原告人と同じ会社に勤めるBさんです。

Bさん、証人席へどうぞ。


「Bさんの話」

彼女はいつも快活な人でした、そう、一時期を除いては。それが春のちょうどこの時期です。
五月病、とでも言うんでしょうか。でも別に鬱になるとかそういうわけではないんです。
A子さんの言うように白紙のページです。ベランダから見える電柱の横を飛んでいく小さな小さな飛行機です。
飛行機雲は見えません、夕方のそらに見える飛行機雲は、橙と深い影のコントラストをつくる夕空に、かすかな線をひいて、
それをまたげば夜が訪れるのですが。残念ながら飛行機雲は見えません。いや、いつもなら
見えますから、それは幸せな気持ちです。この時期夜はいつのまにかそっと私の背中に覆いかぶさって
西日のあたる明るい部屋から、電気のついていないリビングルームを見ると、それは夜の気配の訪れです。


裁判長のもつ木製のハンマーは
三度
カン、カン、カンと音を出して
閉廷を告げた。

もうすぐ夏が来る。


自由詩 春の裁判 Copyright ワタナベ 2004-05-14 18:55:14
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