ロンリーシンディとクイーン
田島オスカー


今日も裏のアパートで
クイーンを大音量で鳴らす女が
ベランダに出て 男とキスをしている
僕が見たのはこれで五度目
弟は三度見ている
文部科学省にクレームをつけてやるのだ、と母親は言う
母親はそのキスを キスよりも過激な情事を 目撃したことが無い
近所の奥様に聞いたの、あんたたちまさか見たことがあるの?
顔を赤くして息子にそんな事を聞いた母親が愚か者に見えた

五度見たキスと キスよりも過激な情事において
その相手は一人の男だけではなかった
思春期の僕と まだ幼い弟には
キス一つでさえ あまりに目に痛すぎて

しかし僕は いつかの泣きながらのキスだけは
初めて女と目が会った日のキスだけは
忘れられずに いた


偶然は偶然 だと思う
雨の降る日に 煙草の自販機の前で女と鉢合わせたのも
未成年の僕 と女の 吸う煙草の銘柄が同じだったのも
偶然だった 全くの偶然
そして 女が泣いたこと も
しかしそれは偶然とは呼びたくなかった

こんにちは、と女がか細く言ったので
僕もつられて あ、どうも、などと言ってしまった
こぼれる滴 歪む厚い唇
涙を拭う 白い指

ごめんなさい、いつも恥ずかしいところを見られてしまうものね、
君と、たまに隣にいるのはあれ、弟さん?ごめんねって伝えて、
君にはまだわからないかも知れないけれど、私淋しいの、
いつも淋しくて、男にすがるの、でもいけないわね、
キスして、セックスして、余計淋しくなるのね、
淋しいのに、でも一度だけ満たされたわ、君と目が会ったあの日、
私なんだかすごく嬉しくって。

涙を拭う白い指 が触れたのは
僕の 頬?

ごめんなさい、こんなに近くに君がいるのね、
大人気ないって、わかっているのよ、わかってるの、でも、
ごめんなさい、こんな事言っては駄目ね、近所の奥様に知れるし、
君だってすごく迷惑よね、ごめんなさい、でも。

女は微笑んだ
美しく美しく 美しかった
美しくてしかし 何よりも悲しかった

あれから三日経って 女はどこかへ消えた
それから三年経って 僕は家を出た
愛されていたことに気付いていなかったから
僕は誰よりも愛に痺れていて
でもその代わりに 誰よりも思い出に縛られていた

あの頃はあまり流行っていなかったクイーンが
今はいろんなところで流れているよ
今なら貴女のアパートのベランダで
一目も気にせずキス 出来るよ



自由詩 ロンリーシンディとクイーン Copyright 田島オスカー 2004-05-06 20:34:02
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