皆殺しのための100行
大覚アキラ

無からすべてが始まったというのは真っ赤な嘘で
始まりなんてそもそもなかったのだろう
すべては元々そこにあったに違いない
ただそれではあまりにもだらしがなく
物語の語り手としては都合が悪いので
なんとなく無ってヤツをスタート地点に置いてみたら
それっぽく見えたのでそうしただけのことだ
さてそうやってだらしなく始まった

だらしなく元々そこにあったすべてだが
あまりにもだらしなく無秩序だったので
このままではどうしようもないというワケで
そこで言葉が登場した
言葉は上手い具合にすべてに意味を与え
意味が与えられたことによって
すべてはそれなりに秩序を持った世界を形作っていった
言葉の誕生以前は
すべてが
意味もなく喚き散らしたり吼えたり泣いたり寝そべったり
どうしようもなかったのよ
ホントに手がかかる子で

母が苦笑しながら台所から現れた
右手には味噌汁茶碗
左手にはカレイの煮物
テレビでは死刑制度の是非について
いわゆる知識人どもがお互いを口汚く罵りあいながら
白目を剥きながら議論している
新聞越しに醒めた目つきでブラウン管を眺めていた父は
やがておもむろに語り始めた
殺すという言葉を口にすることは甚だ容易い
だがしかしそこには覚悟がなければならない
殺すという以上は
自らも殺される可能性があるという覚悟だ
その覚悟なくして殺すという言葉を吐く者
あるいはそんな覚悟など脳の片隅にもないまま実際に殺す者
そんな人間には殺す資格はない
殺していないつもりの我々
殺すなんて口にしたことのない我々
殺される現実なんて想像さえしたことのない我々
そんな子羊のような我々でさえ
殺し殺される輪廻から無縁ではいられない
生きることは己の命を生かすことであり
そのためには他者の命を奪わなくては生きてはいけない
つまり我々の日々の生活
我々の数十年の人生
それらはすべて殺す日常であり
殺す歴史に他ならない
傍観者を気取ってみたところで
実は我々全員が同じリングの上に立っているのだよ母さん
それじゃあまるで
私たちはみんな
人殺しじゃあありませんかお父さん
母は刃渡り30センチの出刃包丁を握り締め
台所に突っ立っていた
母の頭の向こう側にはオレンジ色の電球がユラユラと揺れ
まるで聖母か鬼子母神のごとく
ああ
この人は確かに私の母なのだと
ふいに再確認した
落ち着け母さん
母さん落ち着くんだ
父はさっきまでの達観した口調から一変し
しどろもどろになりながらまくし立てる
つまりは覚悟だ
いや意味だ
所詮は物語だ
というか言葉だ
そう言葉
言葉だ
言葉の問題だ
例を挙げてみようか
おまえのことを母さんと呼ぶ私は決しておまえの息子ではなく
私のことをお父さんと呼ぶおまえも決して私の娘ではない
そしてここにいる私たちの息子は
こんな状況をただ眺めながら
写生でもするように詩を書いているのだよ
どうだ不自然だろう
その不自然さはすべて言葉のせいだ
結局すべては言葉の問題なんだ
誰かが適当に作り出した言葉によって
意味を与えられた世界に我々は生きているわけで
どんなに足掻いたところで
言葉の壁を乗り越えることはできないだろう
そういうことだよ
なあ母さん
とにかくその刃渡り30センチの出刃包丁をしまいなさい
お父さん
あなたは一体
何を言っているのですか
私たちは同じリングの上に立っているのですよお父さん
母は晴れやかな笑みを浮かべながら
刃渡り30センチの出刃包丁を振り下ろした
そうだ
無からすべてが始まったというのは真っ赤な嘘で
始まりなんてそもそもなかったのだろう
すべては元々そこにあったに違いない
畳の上にだらしなく横たわった父の体から流れ出る
真っ赤な血を眺めながら
そう思った


自由詩 皆殺しのための100行 Copyright 大覚アキラ 2007-03-16 13:03:21
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