線香
はらだまさる





 かれこれ十五年くらい、俺は土を掘るだけの仕事をしている。
 はっきり言ってしまえば、何も楽しいことはないし、あるのは日々蓄積する肉体の疲労感だけだ。憂さ晴らしのためにある給料日後の週末は、仕事仲間と景気づけにシャブをうってから、まず高架下の個室ビデオで手淫して、キャバクラとソープで羽目を外す。いつまでこんな生活が続くのか俺にもわからないが、未来に絶望してるわけでもないし、期待してるわけでもない。


 田舎のヤクザにメンチを切って生きてるような、ろくに仕事もしない一匹狼のチンピラだった祖父は、祖母が先に逝ってから急激に老け出し、ボケにボケまくって、死ぬ間際までうちの親父に罵声を浴びせられながら死んでいった。
 親父は、そんな祖父を愛せずに小さい時から借金と夜逃げと貧困に苦しんでいたが、その反骨もあって若くして事業を興し、世間で言うところの成功を手に入れたひとりだった。浮気を繰り返しては、母親を苦しめていた。親父は酒を呑むと女子供関係なく暴力を振るう弱い男だった。お皿やコップは割れるためにつくられるんだと知った。人も然りだ。傷つき、無言で痛みに耐え、死ぬために産み落とされる。
 
 俺はそんな生活が嫌だった。

 高校二年の時、俺にも生まれて初めて彼女が出来た。隣町に新しく出来た分校に通うひとつ年上の女だった。キスもセックスもその娘が初めての相手だった。長い黒髪が美しい彼女は、一重瞼の少しきつい眼つきの女で、決して誰もが羨む美人ではなかったけれど、市が主催したミスコンに選ばれるような包容力のある優しい笑顔の、いい身体つきの女だった。
 つき合いだして一年になるある日、そいつの浮気が判って俺は理性を失った。気がついたら、その女に馬乗りになって首を絞めていた。運良く、そいつを殺すことはなかったけれど、人を殺す、ってことがどういうことなのかちょっとわかった気がした。俺は学校を辞めて、家を出た。


 あれから十五年、俺はずっと土を掘っている。遺跡発掘の補助だ。どれだけ働いても大した金にはならないけど、俺はこの仕事を続けている。どうしようもなかった俺を、唯一救ってくれた仕事でもあるからだ。未来に不安はあるが、それほど気にしてはいない。死ぬ気になれば、何でも出来るからだ。三十にもなって怖いものは何もない、と云えば嘘になるけど、そんなことを云う奴はどうしようもない馬鹿だから信じる必要はない。
 俺は趣味で絵を描いているが、それを仕事にしたいと考えたことがない。絵や音楽、詩や小説でもそうだが、何かしら芸術というものを仕事、またはお金にしようとすると、それはその瞬間にほとんどの場合において、茶番に成り下がってしまうのがオチだ。真のプロとは、高いレヴェルのアマチュアでなければならない、というのが俺の持論でもある。金のために何かを創作するのは決して悪いことではない、しかし、それがどんなに他者のこころを打ったとしてもそれは芸術と呼ばれるものではなく、単なる茶番に過ぎないということを知っておくべきだろう。作品の根底に流れるものが、その製作者の「怠惰で贅沢な生活費」であるのがわからないようでは、芸術を語る資格などないだろう。資本主義の嘘にのみ込まれてはいけない。



 俺は非公開のブログに小説の骨組みとしてここまで描いて、自分が今描こうとしているもの、それ自体が文学賞をとりたいがための、僅か数百万が欲しいだけの茶番に如かないことにうんざりしていた。 俺は誰に向かって何を描きたいのか、何を表現したいのか。世の中の俺に対する全ての誤解を解くためにしている努力ならば、尚更茶番だ。自分のために?俺を応援してくれる家族のため?片腹痛い(笑)。本当に才能のある奴は、そんなことで悩まないんだよ。鈍くなるんだ。そのことに対して、徹底的に、そして意識的に鈍くなるしかないんだ。金は、金でしかない。この資本主義経済の中で生きていくには金がいるんだよ。俺がこうしている間にも、きっちりと時間と金が動いている。それはもう、誰の責任でもないんだ。俺たちのセックスもオナニーも全部が数値化されて、金額がつけられるんだよ。そのキスも、甘い想い出も、怒りも、悲しみも、言葉にもならないありとあらゆる感情全てに、その血液や汗や呼吸にも、値段があるんだよ。この平和も戦争も、全部、全部値段があるんだ。日々の生活の中で、雑誌でも新聞でもネット上においても俺たちは「価値」という魔法に囚われ、全てを無意識のうちに数値化し、そしてされ、商品としてそれらを売りさばき、購入していくんだ。俺らは生まれるために、すでにお金がかかっているんだよ。おぎゃあという、その産声にも一定の金額が請求される。それをふまえたうえで俺たちがネット上で読んでいる文字に値段がないと考えているお目出度い馬鹿にはなりたくないもんだ。金額が払えないんなら、その肉体を奉仕してでも払わなきゃただの泥棒だろう。中高生の万引きじゃあるまいし、そういう奴に限って理想論をぶちまけて、権利だけを主張する。勝手なもんだよ。俺たちは生まれる前からすでに世界から値踏みされてるんだよ。「郷に入れば郷に従え」という諺が全てだ。それにアンチを唱える馬鹿は、世界から村八分にあって生きながらに殺されるんだよ。それが本当にカッコいいとでも思ってる馬鹿も、すでに茶番だ。情報を操作して、この醜い世界を変えたいんなら兎に角徹底して、名前を売って売って売りまくって名声を手に入れて、その発言自体に影響力を持たせるのが筋だ。その痛みや努力をさけて、この世界中の溢れ返る文字の中に埋もれてしまうような小さな叫び声で、何かすばらしいことを叫んだとしても誰にも届くことはないだろう。その存在すら希薄になってしまうまえに、お前のその敏感過ぎるアンテナを鈍くして名前を売り回れ。怖いものなんて何もないんだよ、怖れるものも何もないんだよ。単純なことなんだ。世界に対して怒りの炎があるんなら、大きな風に吹き消される前に必死になって、恥かいても頭下げて、どんな馬鹿に対しても怒りを露にせず、ニコニコ愛想を振りまいて、偶にブチ切れて、また頭下げて、汗かいて、泣いて、酒呑んで、女抱いて、また青空仰いで、海を眺めて、必死に前向いて、必死に、誰に何云われても、自分を信じて、自分を疑って、不細工に歪んだ笑顔作って、家族に馬鹿にされても、耐えて耐えて耐え凌いで、無骨に、不器用に、臆病に、真剣に、名声を手に入れろ。名声と影響力を手に入れろ。走れ、歩くな、絶対に走れ。負けるな、踏ん張れ、絶対に、絶対に世界に押し潰されるな、絶対に生きろ!!黙ったまんまじゃわかんねえんだよ、何でそんなにカッコつけんだよ、なぁ



 じいちゃん、アンタもやっぱり戦争で人を殺したのか?三月のまだ寒い日の夜、医者に酒を止められてたのに、夜中に入院中の病院を抜け出して自販機の前でワンカップ大関を呑んで酔っ払ってぶっ倒れてたアンタが、俺は好きじゃなかった。
 俺が中学の頃、両親の離婚話で家族会議をひらいたとき、アンタに向かって「ほな、俺に死ねゆうてんのか!」と噛みついて、二階の子供部屋で一人で泣いた夜以来、アンタがボケて死ぬまでほとんど口を訊かなかったけど、あのときのことを、ずっと後悔してるんだよ。









 じいちゃん、




 俺の声が聴こえますか。












自由詩 線香 Copyright はらだまさる 2007-03-12 15:50:38
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