お茶缶についてのひと巡り
たりぽん(大理 奔)


お茶缶が気になる
どうしてこれはお茶缶なのだろう
素材や意匠は自由だ
そう、自由なんだ、自由すぎるぐらいに

   ひとつだけ重要な事は
   茶葉が入っている、と言うことだ
   日本茶でも中国茶でも紅茶でも
   ハーブティーだっておしゃれだ
   茶葉の入っている缶だから
   お茶缶なんだ

茶葉を使い切った後
それでもそれを
お茶缶と認識するのは
どうしたことだい

   もう一つ、大切なことだ
   茶葉が入っていた、ということだ
   おいしくても、おいしくなくても
   熱湯で入れようと、水出ししようと
   それを飲んだという記憶が
   お茶缶という思い出で

これから茶葉を
入れようとする缶も
きっとお茶缶だよね
それは素敵なことだね

   さいごに大切なことだ
   お茶缶に紙片をいれて
   お茶だ!と叫んでみても
   それはけっしてお茶にはならない
   お茶缶はね
   茶葉を入れるためにあるんだよ

お茶缶は自由な世界に
入れ物として生まれたのだから
何を入れられても
覚悟しなくちゃならないでしょ?

   ああ、そうだね
   覚悟しなくちゃならないね
   でも、お茶缶であるためには
   茶葉以外はいれちゃだめだ
   この缶にいれたら何でもお茶だと
   間違っちゃいけない

ああ、僕はお茶缶がいいな
茶葉の寄り添うところだ
あたたかいポットとカップが欲しいね
おいしい水を汲みに井戸にいこう

おいしい水を汲みに
ちょっとだけ遠回りしながら、井戸にいこう




未詩・独白 お茶缶についてのひと巡り Copyright たりぽん(大理 奔) 2007-02-12 11:25:47
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