「踏み切りの前に立つ人」 〜原民喜「心願の国」を読んで〜/服部 剛
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- こめ 
- 前田ふむふむ 
- ぽえむ君 
- ふるる 
- さくらほ 
- あおば 
- 田代深子 
 原民喜の『鎮魂歌』を、これまで何度も何度も読んできました。〈自分のために生きるな、死んだ人たちの嘆きのためにだけ生きよ。〉と繰り返される作品です。
 民喜は、戦前戦中に作家としてたちゆかず懊悩し、妻を失い、そして被爆を体験して、無数の死者を抱え込んだ。それからというものは「死」のためにだけ生きていた。まるで死者を忘れないため、それを書くためにだけ、わずかに生き延びさせられた人のように感じます。
 彼の、嘆きと苦しみと祈りそのもののような〈鎮魂歌〉は、しかし乾ききって明るい希望の朝に至ります。自身についてはもう何一つ望みなど持たない、絶望の果てにある人だけが、完全な祈りを書けるのかもしれません。
 思えば明日は8月6日。今年は日曜日なのですね。
- 岡部淳太郎 
- 落合朱美 
- Rin K 
- 水在らあらあ 
いつかの自戒をもう一度再確認しました。ありがとう。
- tonpekep 
う〜ん。
ちょっと。
上手い流れで。

でも許されちゃいます。
- 深水遊脚 
 
作者より:
tonpekep>嘗て地上で哀しみを生きた文人・詩人がいたということを 
       受け止めるような気持で書きました。ありがとうございます。 
水在らあらあさん>戦後60年という時が流れているので、再認識は大事ですね。
田代深子さん>僕は「鎮魂歌」はまだでしたが、読んでみたいです。
         (死んだ人たちの嘆きのためにだけ生きよ。)という言葉は重く、
         問いかけて来る言葉ですね。そして、過去かが薄れつつある現代でも
         本当は忘れてはいけない言葉だと感じます。生まれた時代の、原民喜
         という書き手の宿命なのでしょうが「死のためにだけ生きていた。」
         というのは、すごい生き方だと思います・・・人生に絶望していた
         原民喜も、やはり心の底ではこの世に
         希望を持ちたかったのでしょうね・・・ 
         今日は8月6日・・・旅先の軽井沢にいる僕のトランクの中には、
         原民喜の本が入っています。ご丁寧なお言葉ありがとうございます。

読んでいただいた皆さま>ありがとうございます。 


         

戻る Home
コメント更新ログ