全てのひとは倖せになるべきだ/百(ももと読みます)
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 足立らどみ 
このコメントの文章は優しくないのかもしれませんけど、御免なさい。
この散文からの吐息を感じました。若いころ、いじめられっ子だった
文芸部の同性の同級生がいて、いつも守ることができなかった自分に
大人になってから悩み続けた(彼は高校3年生のときに死んでしまい
私がお葬式で悼辞を読んだのですが最初の悼辞原文は彼に変わって
怨みつらみでつづられた文章だったのですが事前に国語の担当の老耄の
教師の「検閲」を受けて何度も手直しをさせられました)せいなのか、
社会人になってからは、パワハラを受けているときも気になりません。

なのでこのコメントの文章は優しくないのかもしれませんけど、作中の
「友」の苦言やクレーム等は会社員としては大切にしたいと思いますが
最初にある神のロゴスとその哲学体系と現在の単なる一個人の人の「友」
のきつい言葉とを同じレベルにしてしまうのは世のたくさんの出来事が、
単純化しすぎてしまうのではと思う。ネット詩で何度も何度も出てくる
言葉を薄くする作業の中で、自己満する方ではないはずだと思い感想を
書いてみました。

もちろん、鬱憤ばらしに書いているだけでしたら僕は賞賛しますよ(^^)

---2025/11/16 23:34追記---


 
作者より:
お読みいただき、
どうも有難うございます。

足立らどみさま
コメントありがとうございます。
いつでも砂糖の味つけのなされた言葉を遣いなさいという教えを聖書からいただいておりまして、随分とその考えを享受することが難しくありました。
また、受難を指折り数えるたびに、なんらかの喪失を覚えては慌てふためくことも長くは続かず、扉を開けるようにお眠りしたあとの朝との出逢いをうれしいと感じた瞬間から言葉にたいする受け容れがはじまるのだと想います。
毒のある言葉の多くを解毒するのはおのおのの生きたながれであり、どのような毒であれ、必ず救いの理念を得る瞬間があるのだと信じております。
ちょっと甘いものを食べすぎているように至福からものごとをみる目がぼくにあること自覚しています。
いろいろな気づきがあって、足立らどみさまからのコメントも大変うれしい、近ごろ、それとなく楽しいのです、ぼく。
ポイント重ねてありがとうございます。

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