しょうめいたん/あらい
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- りつ 
何故かエロさを感じました。
- 室町 礼 
これくらいになるとわたしの知性では
解釈できる範囲を越えているので意味ももちろん
追えないから感覚としてことばの
音楽性を受け取る読み方になるのですが
音楽批評的にいっても
たぶん悪い音楽じゃないと思います。
- 洗貝新 

証明譚。或いは照明端か淡か。
天鵞絨。なんだ、ビロードのことか。めんどいな。

硬くてぶきっちょな指先でも必至になって弾いていたギター。
記憶と伴に消えていく譜面と面影。
~イメージを振り払って継ぎ足す~
わたしの中で好い詩とは返詩にイメージが浮かびあがる詩なのです。
なので、よくわからない感想を勝手気ままに述べて顰蹙を買ってしまいますが、
これもわたしの中で感想に置き換えられたイメージなのです。
語り手を通じて作者の思いが投影され伝わってくる。
そのような作品にはついつい返詩したくなる。
この作品はそれらとは少し違う。
内容的にもはっきりとした確信的な感想批評は付かない。
イメージ的にもはぐらかされるよ。渡り鳥。
それは、またそのように書かれてもいるからでしょう。
作者の中でオーバーラップする自身と時代の記憶でしょうか。
フェードイン、アウト。流れるのは映像と音楽。
そして消え去る言葉たちの記憶です。
よかですね。


気になって、もう一度読んでみた。
なんだろうか。
存在の本質を弄るようにみつめる視線。
これはみつめてはいるが、実は朦朧とした自分の影を追いつめているだけで、
その存在をはっきりとは認識できないでいる。という。
つまり眼に見える世界観ではなく、
意識の境界をすり抜けていくような世界観。
書き置かれた言葉では認識できないモノたち。
聴覚に交感しあう音。
そこに映る異次元世界の自分の影の存在。
そのようなイメージにおかれている。という印象を持ちます。
ムズい解釈ですが。
久々に繰り返し読める作品に出会った。
思考性としても純度の高い優秀な作品だと思う。



---2025/11/04 01:26追記---

---2025/11/04 01:30追記---
- 弥生 陽 
 
作者より:
エロさは考えていなかったので意外なコメントでしたが、読み返してみれば確かに身体的な感覚や触感的な素材が多いことに驚きました。気づきをありがとうございます。

自分の詩は、書かれている言葉の意味や理解の枠で捉えることが難しく、だからこそ「調子よく読めるか」「リズムとして心地よいか」を気にしています。けれど、書かれた言葉自体はゆらぎだらけで、どこか不明瞭で、気持ち悪いくらいに揺れている。結局のところ、いかに読み手を放さないか——それをいつも考えているように思います。音楽とは身を委ねるものですから、言葉の意味から切り離されたメロディとしても楽しんでいただけたら嬉しいです。音楽批評としての視点をいただき、ありがとうございました。

見つめれば見つめるほどズレていく——確かにその感覚を書いているのだと思います。だから読み手としては、一点を決めてそこから放射線状に点と線を結ぶような読みが必要になる。実際、皆さんそれぞれ違う切り口で読んでくださっていて、作者としてとても嬉しいです。どうやら、意図や構造まで感じ取ってくださっているようで驚いています。私自身、読み手は言葉の意味を解き、自由に読解できるようにと思って書いていますが、読み手の方々のほうが、私以上に見て感じてくださっているのだと気づかされます。詩というものは本当に「わからない」。でも、わからないからこそ面白いのですね。改めてそう感じました。

精進します。たのしくね。
お読みくださり、ありがとうございました。

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