新宿の幽霊たち (「センテンツィア」改題)/室町 礼
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- りつ 
“影”を写し取った詩だと思いました。登場する生き物たちは、みな一様にして精気がない。瞑想しながら書いたように書き手の感情の起伏も感じられない。朧とか曖昧とかそんなことばが浮かんで参ります。「センテンツィア」とは、造語ですか?これが室町さんの、シュールレアリズムの世界なのでしょうか?
私の好みとしましては、〈かれ〉にだけはスポットライトをあてていただきたかったです。だけど不思議と潜在意識に働きかけてくるような詩ですね。とても不思議というより奇妙な感じです。
- 山人 
- 田中宏輔2 
- 花野誉 
- 洗貝新 

小猿のようにキイキイ騒いでコメントしてるな。
まだ幼かった頃で、読み返せば気恥ずかしくなる。
三人称で書かれている物を違う。と
コメンテーター蛾蛾蝶を攻めていたのは、
彼が三人称視点と混同してコメントしてるからだろう。
ところどころ抜け落ちている様子にも見えるのでよくわからない。
昔のことだ。
なんあだ。山田太郎さんじゃないか。笑
なんか、見たようなタイトルだと思った。
追加されたタイトルに少しだけ手も加えられてあるのかな。?
異形で異様な人物たちが登場する異界な描写はそのままですな。
~だろうとか、~ではない、とかの説明形式にみられる文体
この不在感で表すような神視点もそのままおかれてある。
いま読み返してもこの異様さはおもしろい。
そもそも登場人物たちの奇怪な描写がおもしろいわけで、
しかし話者が読めないので当然物語としては動きも感じられない。
無意識が妄想と置き換えられた空間に
ハイエナの如く群がる人の波
意識は泡に留まるイマジネーション。
実在と存在の意味を問いただすフリークに変容された空間でしょうか。
経験や日常の感覚では捉えきれないものを写し出そうとする鏡の世界。
まるでデ、キリコの絵画を見つめるような形而上的な世界観ですね。
でもね、詩や小説などといったセンテンスを用いる芸術
絵画とは違ってやはり動きが見えてこないと
その感動の揺れも少ない。
現実という空間に存在している我々の世界観
時間の流れを意識してこそ、わたしは生きている。
そう実感できるからです。


他人のコメントにいちいちケチを付ける気はないが、脳汁をどばどば゛出す?。笑。 杉原詠二(黒髪)さんはなかなか気の利いたことをおっしゃるようになってしまった。どういう意味だろう。


杉原詠二(黒髪)くん、きみが言っているのはただ性欲を滾らせろと言ってるだけじゃないか。室町礼くんが抑制の利いた禁欲的な詩を書いているだと? きみはいままで彼の何を見てきたんだ。十数年間も。彼は既に俗物に充分汚染されているのだ。寧ろそのことをカリカチュアとして情欲に身を焦がさなければならないのは、きみのほうだろ?


---2025/09/19 10:02追記---

---2025/09/19 14:38追記---

---2025/09/19 14:47追記---

---2025/09/19 14:52追記---
- 杉原詠二(黒髪) 
非常に豊かな映像が見えて、そのカメラワークの自在さと、囚われの少ない語選択に、うならされますが、一方で、各事象の間に、仏教で言うところの縁起の考え方が薄く感じられるので、映像として流れて行ってしまいます。各登場する場面同士の関係が薄いです。つまり、それぞれの場面が関わり合って、因果によって結び付けられれば、脳汁をどばどばだすような、堪えられない一篇に仕上がると思います。独特の能力をお持ちなので、脳汁的観点から、見直されるといいと思いました。
---2025/09/19 11:19追記---
あらがいさんへ、室町さんは、ハードボイルドで禁欲的な詩を書かれるように思えたので、愛の脳汁が必要だと思ったのです。もちろん、それに執着しては、さとりがなくなるので、体験した上での自在なコントロールが出来るようになることが、詩書きには必要です。脳汁のコントロールは、エクスペリエンスの本質をあらわにしたところで、可能になるのではないかと。様々な経験があり、型どおりにとらえる必要はないと思います。ハマスには脳汁が必要だし、イスラエルには禁欲が必要だとみております。悲惨にさらされた人は、聖母マリアに抱かれ、オキシトシンを放出することが必要だし、他人を殺して平気なものには、その放縦なところを抑制して、自己の悪を反省する自己克己が必要なのですね。わたし自身は、両方の極端にさらされてきたので、いい加減に事務処理能力を取り戻して、淡々と毎日を過ごさないといけないと思っています。
それは味気ない、と思われますか?とんでもない、禅悦というものが存在するのです。
知識・洞察・詩的直観は、年齢を重ねるほど磨き続けることが、できるのです。脳の可塑性によって。さらに、智慧だけではなく、感官を鎮めて、精神集中をすることもできます。
 
作者より:
皆さま
お読み下さりありがとうございます。
これは散文詩によるスケッチ、もしくは
絵画の試みでした。したがって哲学的な
内容も思想もなんだっけ構造とかそいう
のありません。絵をみるように読んでい
ただければありがたいです。
スケッチの対象はダンボールハウスに住
むホームレスです。かれらはまるで幽霊
のように夜の世界を歩いていてもまった
く存在を認識されず無視されています。
その姿を絵のように描きました。だれも
やったことのない試みです。
---2025/09/19 08:07追記---
杉原詠二(黒髪)さま
コメントありあとうございます。
  それぞれの場面が関わり合って、
  因果によって結び付けられれば、
というご指摘、まったくもってそのとお
りですが、残念ながらその力がありませ
んでした。これからの課題です。



---2025/09/19 10:25追記---

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