詩人と真実/杉原詠二(黒髪)
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 洗貝新 

『悲しみの深さのなかに真のよろこびある』。真宗教団連合。
ああ、幾人の人たちがこの言葉のなかで逝ってしまったことだろうか。
わたしはまだ死人(しびと)にはなれない。

- 月乃 猫 
- 自画自計 
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- 室町 礼
だいじょぶかい?
頭はよく冷やしてぐっすり
寝ないといけませんよ。
---2025/08/21 13:39追記---
 
作者より:
あらがいさん、浄土真宗ですね。悲しみは大人になるステップです。愛する者との別れ、深い悲しみ、それらは、憎しみではないのです。泣きながら怒ることはありません。悲しみに包まれることは、自らの手の届かないことに面したときに、執着を手放すような、深い情動的な浄化をもたらします。泣けるうちはまだ大丈夫です。悲しみとは苦しみであり、苦しみは人を目覚めさせるきっかけになります。独善(大きい罪)から、離れるきっかけにもなるでしょう。泣きながら謝っている人は、自らの過ちに絶望しているのです。そして、そこには、共感の目が向けられるはずです。罪であるうちに無知から離れ、悪を為さないようにしなければ、人を損なってしまいます。共感の思いで起きた悪に眼を注がれても、まだ罪である段階では、人は厳しく非難されます。裁かれるということは、潜在的な悪を、除くためにされることなのです。社会は、悪を許しません。それは、破壊と苦しみをもたらすからです。その無知なる所を導いてくことが、法という考え方に他ならないでしょう。性教育を受けなければ性について間違った知識しか得られず、破壊をもたらすように、破壊されてからでは遅いのです。原爆を持つことが罪であり、その使用が悪であるわけです。原罪を逃れることは出来ないのですが、ウェル・ビーイングなど、人の優しさは、世界を実際に変えていきます。
---2025/08/21 12:49追記---
月乃 猫さん、ありがとうございます。
---2025/08/21 13:46追記---
室町 礼さん、そうですね、気遣って下さってありがとうございます。
---2025/08/22 16:21追記---
自画自計さん、ありがとうございます。

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