作者より:
りつ様 いいねありがとうございます。
ロバートジョンソンは客が一人もいなくても歌っただろうとエリッククラプトンは言いました。
ボブディランは客が一人しかいなくても精一杯演奏したと誰かが言っていました。
ツービート時代のたけしは客が一人でも精一杯喋ったと思います。私もそういうタイプです。
---2024/12/15 23:20追記---
アラガイs様
アラガイsさんは、福祉の世界にいると前語ってましたが、何某かの障害を持った利用者として利用されているのですか?
福祉における公共施設のことを言っている場合、福祉における公とはなんだということを考えてみます。
内容によって突然叫びだす利用者がいる。涎を垂らす利用者がいる。これを公を汚すという視点もありますからね。公というのは色々な視点で捉えられるので、そこら辺はツッコミ用のある文章だと思ったかも知れません。公共精神というものを何に求めるか? 場に求めるのか? もっと違うものな気がする。私がこの詩の中で主張している公は、公共精神とか、人間に幻想を与えるようなもの。そう言ったものとしての公です。福祉の世界にそう言ったものがあるかというと、弱者を守るという建前としての公は認められるのではないか、と。
ちなみに私は精神的混乱者の中に混じりて、貴方が精神障害者? と一般の方に不思議がられますが、ことの経緯は医療犯罪に巻き込まれる形での強制入院でしたから、精神的混乱者達との仲間意識が生まれるはずもなく、一人頭の中彷徨う日々です。精神的に混乱しているわけではないのですけどね。
公の人が公共の施設で乳繰りパーティーをしてもいいのか? ということですが、それはアラガイさんの精神的悪戯が書かせた言葉で良い訳ないでしょうと答えさせて頂きます。
---2024/12/16 05:49追記---
アラガイs様
嗚呼、そうですか。福祉界にいるとはそうです、私です。
一般社会で生き抜く人はブサイクなら一生懸命それをカヴァーするように努力しますが、この世界というのは人間は顔じゃない中身だとただ突っ張るだけ。じゃあお前の売りはんだと尋ねたら、人は売り物じゃないとまで言いそう。人を愉快にする力の欠ける人間が何故ここまで増長する世の中になったのか? サーヴィス精神のかけらも無い。出来ることは保身のために、謙虚に表向き振る舞うことばかり。 しんどい世界です。
室町礼様
この作品に笑いやユーモアを感じて頂けるなら、嬉しいです。風の中を走る男の極論はエネルギー熱の熱さが伝わるのではないか、と。
---2024/12/16 06:00追記---
ひだかたけし様
脱エゴイズムを志す。正にそうです。私人ではいけないということです。
心理と論理でいうと、心理に鈍感だわけでは無いけれど、最後には必ず論理的に正しいと思う方を私は選んできました。痛いという思いに敏感になりすぎると、愛する人のために命をかけることは出来ません。現代は心理学の時代ですが、心理カウンセラーだ医薬品だと私私私の悩み人ばかりです。心理より論理。この詩を見て辛いというのは心理。しかし論理的にはそこまで間違ってないと思えるのは論理。西洋では強烈な悪趣味とも言える絵画を描くアーティストがいます。日本でそれらが受けないのは、心理面での作用が働いていると思う。ピカソは私は美しい絵を描こうと思ったことはないと語りましたが、同感です。