音のない雨/ホロウ・シカエルボク
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- アラガイs 

音のない雨/音のない水/音のない息/音のない宙/耳/秘密/秘罪1979
例えばわたしがそこを踏みしめて歩くとき大地は耕せるがそこに秘めやかな住民もまた耕せり。雨は地に落ちて川に流れ海へと溜まりまた宙へと還る。誰かが生きるということは誰かを殺すということ。このくり返しでっせ。おやじさん。音のない雨/そして音のない私/果たして生きているのか、死んでいるのか、この聲をあなたに届けるしか手立てはない。 音のない詩人/


- おぼろん 
率直で平凡な感想を書いても良かったでしょうか。ホロウ・シカエルボクさんが「良心」または「背徳」を刺激する言葉を多用するのは、なぜなのでしょうか。そうした言葉を反復しても、読者は共感または反発するだけですから、そこに意味などはないのです。とすると、ホロウ・シカエルボクさんの感覚的な世界認識が、そうした激しい(時に優しい)言葉に反映されているということになります。わたしは、実はホロウ・シカエルボクさんの「ひとことダイアリー」を読み直して、「とても繊細な方なのだなあ」ということを思ったのです。「謙虚は傲慢の裏返し」という言葉があるように、「繊細さ(社会性)」も「野生」の裏返しです、というか「共生」です。「俺は信念や思想を語ってはいないのだ」と、ホロウ・シカエルボクさんはおっしゃるかもしれませんが、読者はそこに思想の激しい現れを見る、見てしまうように感じるのです。「あ、それは誤解だった」と感じれば、それは読者にとってはより深い理解の現れです。そうなるでしょう。そうした到達点に達した読者にたいして、わたしは「良かったね」と言うでしょう。”ホロウ・シカエルボク”という表現者に真に共感し得たからです。ひとつ分からないのが、ホロウ・シカエルボクさんの表現における語彙の多様性です。これは、例えばひだかたけしさんの姿勢などとは真逆であり、ホロウ・シカエルボクさんの詩は読んでいるだけで楽しい、あるいは興味深いのです。どちらが優位、ということをわたしは考えておりません。率直に申し上げれば、ひだかたけしさんとホロウ・シカエルボクさんは現在の現代詩フォーラムにおける二大巨頭だと思っています。意匠において秀でた方、感覚において秀でた方などは、他にもいると感じているのですが、「詩表現」ということの高みにおいて、お二方に勝っている方は、今の現代詩フォーラムにはいないように感じています。「全体を感覚せよ」というのは、詩作者においてはずいぶんと贅沢な望みだろうと思っています。ですが、わたしの場合、ホロウ・シカエルボクさんの表現は、読むほどに離れられないものがある。俗な言い方をすれば「快楽」です。現代では「快楽」をすぐに「セックス」と結び付けてしまいますから、そうした表現はしたくないのですが……。この相反する「絵画性」と「音楽性」の両立はどこから出てくるものなのでしょうか? それが、わたしにとっては不思議に思われるところです。表現における「慣習」ゆえなのでしょうか、「感受性」ゆえなのでしょうか? 「これだぞ」という答えをわたしは求めておらず(そうした表現では、わたしの批評につながらないのです)、むしろ「詩的」な言葉での回答をいただければと思うのですが、どうかわたしのコメントを「文面通り」に解釈していただければと思います。わたし自身は、詩人の詩を味わうことが世界認識を広げることであると思っており、単純にわたしを生きやすくすること、でしかないのです。その返礼として、多くの人たちにその存在を知ってほしい、という批評(または広告)は書きますが……。ホロウ・シカエルボクさんはユーチューバーとしても活動なさっており、そうした行動は「余計なお世話」と思うかもしれませんが、単純に親切心としてお答えいただければ、幸いです。

もういちど読み直しましたが、「秘罪は内側から羽虫のように自我を食らい尽くすだろう」──この出だしはやはり良いですね。そもそも「秘罪」なんていう言葉はありませんし。そこまで研ぎ澄まされた(言語を開発せねばならない)詩なのだと思います。「秘罪」……いつか辞書に載っても良いな。いや、だめか。そういう「秘罪」が氾濫しなければ、言語として成立し得ないし。……いや、「秘罪は内側から羽虫のように自我を食らい尽くすだろう」──これは、「外皮を美しく塗ることばかり気にしていたら臓腑が腐ることに気が付かない」を受けてのことなのか、直近の未来に予測してのことなのか? と感じました。オカルティックな言明で申し訳ないのですが、なんとなく直感として。「秘罪は内側から羽虫のように自我を食らい尽くすだろう」という言葉を生み出した瞬間、その対偶は生み出されていたのではないか、あとはそれをどう表現するかだ、と思われたものですから。「外皮を美しく塗ることばかり気にしていたら臓腑が腐ることに気が付かない」という言葉自体は精神的なアンチエイジングを皮肉ったもの、のようにも捉えられるのですが、ふむ。です。それと、本文中にいちども「。」が現れて来ないのが圧巻です。二度読み直すまで、気付きませんでした。
---2024/03/30 00:52追記---

丁寧な返信をいただき、ありがとうございます。たくさんの感じ方、考え方をいただきました。「秘罪」について……そうなのですね。今、Youtubeでジョン・ゾーンの曲を聴いてみたところです。これはすごい。わたしの知らない世界について知ることは、わたしにとってはとても楽しいことです。そもそものわたしには共感や反感といった感情が希薄なのですが、芸術作品一般は、とくにそれが新しいものや知らなかったものであるほど、わたしに好奇心をいだかせます。創作の秘密を明かさせてしまうこと、ホロウ・シカエルボクさんにとっては、あるいはポーカーの手を明かしてしまうようなのかもしれませんが、とても参考になります。ゲームの世界では、逆に自分の手を知らず、相手の手は知っている、というインディアンポーカーのようなものもありますね。わたしの質問やコメントがウザイと感じられましたら、いつでも「ウゼー」と言ってくださいね。
---2024/03/31 19:47追記---
 
作者より:
〇アラガイsさん

だから、僕は羽虫と書いたのさ。

〇朧月夜さん

そうですね、僕はまず、表現とはジャンル問わずカウンターであるべきだと考えています
というか、そういう表出をしているものが好きで、多分に影響を受けて来ました。
だから、こういった言葉遣いになるのだと思います。
繊細なのか神経質なのか、まあその辺は自覚してますね。
あと、ひとつ前回の発言に補足なんですが、僕は確かに信念やスタンスの為に詩は書かない、
でも、書いたものに勝手に現れる分にはぜんぜん問題ないんです。
重要なのはそれが無意識に書かれているということです。
僕は基本的に集中して言葉を吐き出している時に快楽に近いものを感じていて、まあハイになっているわけです。(その後灰になりますが)
それは例えばバンドマンがプレイしている時にある点を超えた感覚と同じです。
(演劇をしていたので舞台における高揚感は経験しているのです)
だからそう、ライブ感覚で書いているからこういう詩になる、って感じです。
それは多分、画家が絵を描くときにも当然あるんだと思います。
つまり、僕が表現に求めるのはそういうものだ、ということですね。


活動していて一番難しいなと思うのが知ってもらうことですよね。
どうしても決まった層にしかアピール出来ないっていうジレンマがあります。
だから、最近はトーク動画なんかも出したりして、わからない層にも
働きかけてみようという試みもしています。だから、宣伝(俗な言い方ですが)していただけるとわあ、ありがたいな、と思います。心から。


「秘罪」という言葉は僕の造語ではなく、ジョン・ゾーンというインプロ系のジャズミュージシャンのアルバムの邦題から録りました。でも確かに、このアルバム以外で目にしたことはないかも…。
そう、最近は甲虫みたいなものになりたがる人が多いなぁと思ってねぇ、いつも…。



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