そうか 君が/短角牛
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 本田憲嵩 
- レタス 
- そらの珊瑚 
最後、友への語りかけのような気がしました。
- リリー 
- 田中宏輔 
- 空丸 
- つむじまがり 
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- 菊西 夕座
こうして順をおって見ると、寂しさのなかにも「楽しさ」、「やすらぎ」、「安心」が含まれているようで、「寂しさ」が単にさびしいだけではないという、どこか救いにもチュールような、ではなく通じるような不思議な感興を覚えさせてくれます。

井戸の底に垂れた「寂しさ」というロープの反対側の先には、チュールがまきつけてあると考えるだけで、それはチュールのほほえましい柔らかさとどこかでチューじているような、安心感と決して無縁でないような、そういった救いといいますか、同じ血が通っているという温もりを抱けそうですね。

通常はその対照が寂しさを際立たせるはずなのですが、各連でそうした対照をことごとく不問にふしているため、この詩では不思議と寂しさが和らげられている気がします。これが詩の成せる技なのだと思います。
 
作者より:
本田憲嵩さん
 ありがとうございます
 
レタスさん
 ありがとうごさいます 

そらの珊瑚さん
 ありがとうございます。
 寂しさって、懐かしさとか、喜びとか、他にも様々な感情に紐づいていると思います。
 友とか、相方とか、その先に、そうか君が、と思い書いたので、そうですね。
 それは大事な何かへの語り掛けだったかもしれないです。

リリーさん
 ありがとうございます。
 
田中宏輔さん
 ありがとうございます。
 
菊西 夕座さん
 ありがとうございます。
 ご記載の観点、大変共感できる部分が多いです。
 さまざまな感情は時系列でつながっていて、変化には理由があると思います。
 その変化と現状把握を、他人事のように外からみて楽しむ、というのが、最近はちょっと上手になった気がしていて、それを書いてみようと思いました。
 
 寂しさは結果ではなくて、何で自分の心が温まるか、燃料と温度変化がなのかなぁとか思ったり。

 チュールのところはね、猫の動画を見て心を温める私の願望です(笑)
---2024/01/09 01:32追記---

空丸さん
 ありがとうございます。

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