九月二日/るるりら
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 泡沫恋歌 
大和ミュージアムは去年、創作仲間といって来ました。
となりの「鉄のクジラ」の方が私には興味深かったけどね。
- りゅうのあくび 
9/2が終戦調印の日だったのですか。
初めて知りました。
ポツダム宣言を受託して無条件降伏を日本が認めた日と
他国が降伏を受け入れる日が違うのですね。
日本は宣戦布告をする前に
ハワイ真珠湾を攻撃しています。
自国と他国で、戦争の始まりと終わりの時期が
食い違っているようですね。
そのタイムラグで苦労をした
人々もたくさんいたのだろうと考えてしまいます。
未だに解決できない領土問題の認識もその辺に
あるのかもしれません。
- あおい満月 
- あおば 
- ゴースト(無月野青馬) 
>場所をかえて 同じようなことが おこりつづけてきた
間違っても無批判に積極的に加わる日本ではあってほしくないです。
- アラガイs 

一読いたしました。
内容はさておき、読点を多用されておられる作りですね。もちろん意図的だとは承知しておりますが、空間が生じてしまいますよね。流れを止めてしまう。感情の移入を考えた場合、これが散文と置かれる場合には不利に働くのではないかと素朴に思うのですが。他に何かしらの意図があるのでしたならば、どうかごめんくださいませ。




- そらの珊瑚 
大和ミュージアム、二回見に行きました。
戦争に行った呉育ちの義父はもちろん戦争は二度と嫌だと思っていたでしょうけれど、大和は日本人の英知を結集した素晴らしい戦艦だったと言い、誇りに思っていたようです。
もちろん人殺しの道具ではあるのだけど、それだけでは割り切れない、実際に戦争に行った方と私とではそこに温度差のようなものがあるなあと感じたことがありました。
9月2日のことはもっと知らされるべきですね。
---2015/09/03 12:22追記---



---2015/09/03 12:26追記---
- 夏美かをる 
- たま 
一昨年のことですが、吉村昭の小説「戦艦武蔵」を読みました。膨大な資料と徹底した取材によって描かれたこの小説は記録文学の大作です。
武蔵は大和のコピー(二番艦)ですが、呉の軍需工場ではなく、佐世保の民間工場で建造されました。武蔵が完成すると連合艦隊の旗艦は大和から武蔵に移ります。ということは、山本五十六が武蔵に乗り込むということです。嘘みたいな話ですが武蔵は冷暖房完備の戦艦だったのです。
それはそれとして、この小説を読むことでぼくの戦争に対する視座がかなり変化しました。
人間の狂気というものを再認識したのです。それは戦争という状態の中での出来事と、受けとめることもできますが、この日本がもう二度と戦争をしないという約束が、脆くも崩れ去るのです。
人間の狂気というものはいつの時代にも、どの世代にも存在するからです。

8月15日はお盆と重なりました。日本人にとってこれ以上の終戦記念日はないと思います。
世の中には様々な人がいます。筒井康隆は「もう一度中国と戦争をして勝つのを見届けてから死にたい」と広言します。もちろん、そんなこと本気で考えてるわけはないと思いますが、本気で考えている人もいます。
ですから、狂気は今もそこらじゅうにあって、燃え上がる時を待っているのです。
不気味ですね。日本がもう一度、負けるかもしれないのです。たぶん、そうなったらもう日本はなくなるでしょうね。

- レタス 
- Lucy 
 
作者より:
●泡沫恋歌さんへ
クリエイティブなお仲間と行く 大和ミュージアムは 私とはまた違った感覚で観ることができるような気がしました。私ったら 目の不自由な母といっしょに行きましたので、有意義な時間のすごせそうなお隣の建物には 行けせんでしたし、展示物は観ましたが 文字情報を 読む余裕もあまりなかったです。なので、たぶん 大和ミュージアムで得られる情報を 多くもっておられるのは得ておられるのは 泡沫恋歌さんや共に行かれた方々です。なにか私が妙なことを言ってしまっていたら是非教えてやってくださいね。 

● 竜野息吹さん

 9/2が終戦調印の日だったことを 私もこのたび初めてしりました。
タイムラグで生死を分ける様々な事柄と人々を経験しておられたのだと私も考えました。


一般的な日本の国民の認識と 他国の方々の認識の、戦争の始まりと終わりの時期が
食い違っているようです。しかし、多くの日本人が これまで さして気にしてこなかった事柄だと思います。
 本日 中国で【抗日戦争勝利70年記念式典】が 北京の天安門広場で開催されます。
 9/2が終戦調印で  9/3が勝利記念日という訳です。
中国政府は今年を「抗日戦争と反ファシズム戦争の勝利70年」と位置づけて祝日とし 式典では軍事パレードが行われるようです。他国が調印に近しい日に軍事パレードまで行うようなイベントを行ったのは 戦後七十年で今回が初めてです。わたしたちの印象になかったのも 自然なことかもしれません。

> 未だに解決できない領土問題の認識もその辺に

あるのかもしれません。

本日の式典には ほとんどの国が出席を 見送っているなか
ロシアのプーチン大統領と韓国のパク・クネ大統領らは すでに、北京入りしているようです。

●yuriさん コメントありがとうございます。
● あおい満月さん 
● あおばさん
● 無月野 青馬さん
わたしも そう思います。

●アラガイさん

私は読点を多用されてしまっているかもしれません。意図などはありません。
投稿日時を合わせたかったので、ほんの二十分ほどで書きあげてしまいました。
私は散文を書くことがすくなく いままでは気が付かなかったのですが、もしかすると私は文章作成の基礎に問題があるかもしれません。
ご指摘ありがとうございました。
これを機会に散文の書き方を勉強してみます。ありがとうございました。

---2015/09/07 00:18追記---
● そらの珊瑚さん
二回もいかれたことがあるのですね。いいなあ。
呉で私が 一番感激したのは、むしろ海上の タンカーでした。
わたしの父も祖父も造船で栄えた町と縁が深く 祖父は軍艦ですが父はタンカーを造ってました。呉に訪れた回数ははじめてでしたが この地で育った知人も やはり大和の話を きらきらしながら語ってました。

わたしと同世代の友人が プラモデルに力を入れた玩具屋で働いていたのですが、その彼の場合は、純粋に大和のディテールがことのほか気に入っていたようです。

わたしは平和教育を受けて育ったので 反戦感情の強い人間だと自身のことを思っていますが、
戦艦のディテールが好きだという男子のことは、どこか親近感を覚えています。
宇宙戦艦ヤマトも たぶん あの姿もあってのヒットだったような気がしていて、憎めないです。

ディテールを愛する気持ちで動いている脳の箇所と戦争と平和を考えているときの脳は
たぶん 違う箇所のような気がします。

● 孤蓬さんへ
をお わたしは あなたの書き込みをお待ちしていました。
箇条書きの解りやすい明記で 私の誤解していた点が明確になりました。 ありがとうございました。またなにかお気づきのことがあれば 教えてやってくださいませ。

---2015/09/08 09:42追記---
● たまさんへ 

小説「戦艦武蔵」の情報をありがとうございます。お蔭様で私にとって興味深い情報が得られました。
拙詩に登場する私の祖父は 佐世保に住んでいた時期が長いです。
ほかの方へのレスに 祖父が 軍艦の椅子を見せてくれたことを書きましたが、その椅子とは武蔵の椅子と私は祖父に聞いています。その椅子は大変 豪奢なデザインの椅子でした。冷暖房完備の戦艦だったのですか?その話を聞いたことがあるような気が漠然としており その小説を読むと わたしがなにを聞きそびれてきたのかが明確になりそうです。
ありがとうございました。

現在の狂気は 今もそこらじゅうにあるようですね。ほんとうに気味です。


●孤蓬さんへ 再度ありがとうございます。


> 戦艦の設計に従事ということであれば、お祖父様は技術科士官(恐らく造船科士官)ではなかろうかと思います。

それならば、将校相当官であっても、将校ではありません。
「将校」は、兵科(或いは、後年は機関科も含む)に限られます。

祖父は、祖母が軍人という言い方をするたびに それを嫌っていましたので、孤蓬さんのおっしゃることが正しいのだろうと思います。

>祖母にプロポーズに来たときは白馬にのってサーベルを持った軍服姿

どうもあり得ない印象です。
海軍で馬に乗ると言えば、海兵・海機・海経における生徒の教育か、海外における陸戦隊でわずかに見られたようですが、技術科士官が馬に乗る機会などまずないでしょう。


わたしは、サーベルを持った軍服姿の祖父の写真を 祖父の葬儀の日に観ました。
いかなる事情でその姿であったかは、当時を知る人々の多くが故人となってますので解りません。しかし、わたしはサーベルを持った軍服姿の祖父の写真を 写真を観ています。

「白馬に乗ってプロポーズ」と言いました。プロポーズの話なのですから とても個人的な事柄です。海軍だとかの公な儀式とかでの馬の利用の話とは無関係だと思います。
祖父は明治生まれです。この時代のふつうの人々は、馬に乗ることは皆無だったのでしようか?
当時は車もいまほど普及してないですし、だとしたら 当時の方々って 私が思っている以上に大変な暮らしだったろうなと思っているところです。

白馬かどうかは 祖母の恋心が駄馬を白馬にみせたのかもしれません。
生前の祖母は祖父をあまり褒める人ではなかったので、自分たちが若かった頃の話くらいは美化し駄馬どころか 本当はそれがロバだったとしていても 私は憎めないです。

いずれにせよ 私にとって かけがえのない人々を思う時間が より深く持てました。ありがとうございます。


---2015/09/28 18:50追記---
○ レタスさん わたしの詩を 多数読んでくださったようで ありがとうございます。
あなたのような方に出会うと とても励まされました。 

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