大堀相馬焼(福島県浪江町)〜その瞳をみていたら〜より/黒木アン
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- ただのみきや 
- 夏美かをる 
- 宣井龍人 
 
作者より:
福島県には古くから伝わる伝統的産業が各地に数多くございます。
その一つが、浜通り相馬地方の「相馬焼」です。

300年の歴史をもつこの相馬焼には、相馬市で作られます「相馬駒焼」と浪江町でつくられます「大堀相馬焼」の二つがあり、どちらも江戸時代に相馬藩主が京都の御室焼を手本につくらせ、産業として育成したものです。
江戸末期には100余りの窯元がならび、東北地方で一番大きな焼き物産地となりました。

「大堀相馬焼」の特徴は、筆書きの走り駒(馬)の図柄と網状の小さな青ひびで、「相馬駒焼」が藩主の焼き物から出発したのにたいし、「大堀相馬焼」は駒焼の流れをくみながら日用品を手がけています。

「大堀相馬焼」の湯のみ茶碗は二重構造になっているため冷めにくくその原理に相当する技術を用いた焼き物は他に見あたらないといわれております。
寒さ厳しい東北の地ならではの知恵から生まれた湯のみ茶碗なのです。

また、窯出しの際の窯と外気温の差から、素材と釉薬の繊細な音を伴って細かい亀裂が入ります。
これは「貫入音(かんにゅうおん)」と呼ばれ、「うつくしまの音30景」にも選ばれております。

震災前、浪江町には25の窯元が点在し、「陶芸の杜おおぼり」には歴史的に貴重な作品を展示する特別展示室もあり、各窯元の作品や企画展、陶芸教室が行われてきました。

その後、福島県二本松市の協力を得て「陶芸の杜おおぼり二本松工房」として再開しております。
まだ半数の窯元が県外に避難されている中、二本松市での再開が「大堀相馬焼」の維持継承と、離散した窯元と浪江町をつなぐ拠点になり、ふるさとを想う憩いの場になっています。

二本松市での工房オープン時には「なみえ焼きそば」用の焼き皿も展示販売されました。

浪江町で生まれました「なみえ焼きそば」は、ご当地グルメの一つで商品化になり、震災後もB1グルメ大会で入賞しています。

また、人気バラエティー番組が
2000年からシリーズ化した「村」と呼ばれます場所では、大堀相馬焼職人より技術指導が行われました

こちらの所在地は、番組開始当初から公表されることはありませんでしたが、原発事故により計画的避難区域になりましたことで公表されております。

戻る Home
コメント更新ログ