知略崩し/砂木
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- オダ カズヒコ 
批評精神は常日頃の生活の中にこそ必要。
同感です。
自分なりの物の見方や考え方を持つ、こ
れを他人のそれと付き合わせることで、
世界は豊かになる。
- 衣 ミコ 
- たま 
闇鍋ですか・・・、はい、ぼくもお供いたします^^
- アラガイs 

おめでとうございます。厭世家で世の中をちゃんと批評もできない馬鹿者のわたしが真っ向と詩に対峙することができるでしょうか? 教えて頂きたいです。
- 芦沢 恵 
- ふるる 
褒め言葉でも、罵倒でも、人を突き動かす何かがその作品にはあった、ということですね。でも、好きなのをダメな風に言われたら、やっぱり傷つきます。好きは感情だから、感情が反応してしまうのは、仕方ないです。
- 唐草フウ 
今の自分の姿勢にぐぐぐときました。
いつも教わり励まされます。
 
作者より:
拙文を読んでいただき ありがとうございます

織田和彦様 落ち込んでも どんなに情けない事があっても
      御手並み拝見とおもうんです。当時者であっても
      どこか他者になりたいです。ありがとうございます。
      
ヱミコ様 でこちゃん様 ありがとうございます
 
たま様 お先真っ暗でも食べて食べて 頑張らないとですね。
    ありがとうございます。

蛾兆ボルカ様 
       酷評は、作者的には歓迎だけど、作品が可哀想な気がしてしまう場合
があります。
       
       作者と作品と どちらも糧であり生き物だし どちらが器で
       どちらが創り手というものでもないし 心というものは
       なんなんでしょうね。心を寄せたり離したり。
       作品の批評であって 作者の批評ではないと言っても
       心をこめて書いたものほど 簡単にはわりきれませんしね。
       生活と創作が同じならばなおの事。ただ自分の妄想を崇拝するの
       だけは避けたいのです。批判するだけではなく批評の眼を養いたいです。
       批評姿勢がないと生きていけない気がするのです。
       ありがとうございます。



アラガイ様 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
    
      私自身 根が暗いし間違っている事もある。批評批評と言いながら
      例えば文極さんでも 何か書きたくて感想でもと思って書いているうちに
      自分の妄想を語っていたり 作者や作品から大脱線して言葉だけに
      夢中になっていたり 自分の殻からでるのは大変難しい人間です。
      充分 ご存知でしょう 笑。
      アラガイさんはもしかしたら面倒見のよい方なのかもしれませんね。
      なぜそんなに 創作したものと向き合おうとするのですか。
      裏切られてもけなされても作品や作者と向き合う必要はないと思うのです。
      好きだからと言うのであれば 惚れた弱みと言う奴やつですね 笑。
      アラガイさんの妄想に私の妄想が勝てるかどうかわかりませんが
      あなたならできます。何年も何年も頑張ってきてやれないわけがない。
      批評眼の本懐は言葉の本懐ではないかもしれないけど 私なんかに
      貴重な質問をしてくださった本気度に 私は信じようと思います。
      会社がはじまるとなかなかネットはできないのですが 期待しています。
      ありがとうございました。長々と すみません。 

yuri様 話は半分聞け みたいなことは昔からいわれてますしね。
    いろんな妄想は創造に変えられたらいいですね。
    こちらこそよろしくお願いします。ありがとうございました。 
      
芦沢 恵様 ありがとうございます 

ふるるっぽ!様 大事なものをけなされるのはつらいことです。
        分析とか解析とか 妄想に立ち向かうものが
        欲しいです。ありがとうです。
      
三枝フウちゃま 妄想の分析を妄想でするしかなくても
        どこか分離できたらね クール。
        ありがとうです。生きていこうね。
      


---2015/01/04 08:52追記---

---2015/01/11 17:14追記---

---2015/01/18 09:46追記---

---2015/06/14 18:18追記---

---2016/05/15 18:16追記---

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