That's Me/深水遊脚
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- アラガイs 

アフリカのエチオピアだったかアラビアか忘れました。コーヒー豆を直接土鍋で煎り旅人にふるまっていた。その薫りを口にした旅人の感動はテレビからも伝わるようでした。
わたしは普段雑味を売り物にしてるようなインスタントしか飲みません。それでも一日5杯以上は飲む。さっとお湯を沸かしてさっと飲む。このようにインスタントばかりでお水代わりに飲んでいると、珈琲の真の味わい方を忘れていくような気がします。
この散文を読むと精神性の大切さが身に詰まされてくる。利休居士が、その精神性から相手と向き合いお茶を煎れたように、珈琲も本来は精神性を口にする飲み物ではないかと。たっぷりと時間をかけて抽出される滴が、器に溜まるまでの相手との会話。好きな音楽を聴きながら待つ間の時間の余裕。わたしがインスタントを好んで飲む理由は、そんな決まり事のように時間の流れを飲んでいるだけで、実は本来在るべき珈琲の飲み方をしていないのではないかと。これは現代社会という時間の概念に束縛された狭い器の中で、いつでも簡単に飲み干すことができるような言葉をただ書き綴る我々の姿ではないかと。

- 芦沢 恵 
 
作者より:
雑味としてそれを切り捨てても
残るなにかで人と向き合いたい
切り捨て過ぎていたものも記憶として残り
発する言葉に少しずつ宿っている

アラガイ さま
ポイント、コメントありがとうございます。
 精神性を突き詰めると茶道のようになりますね。利休の思想にふれてみたいです。レギュラーコーヒーにも、家庭ではコーヒーメーカー、職場のポットではドリップバッグを使うという楽な道があります。そちらを否定するわけでは決してありません。もてなしの心は便利なものを使ったレギュラーコーヒーでも、インスタントコーヒーでも実現できると思います。挽きたてにこだわりたい、技を失いたくない、それ自体が楽しい。私が手作業のドリップを続けるのはそんな理由からです。主観的な味については、それを誰かに決めてもらっていいの?というのが私がずっと考えていることです。妥当な場合も多いのですが、ひとりよがりという言葉で切り捨てる発想が私は嫌いです。自分が納得する味を追求するときも、もてなすときも、もてなされるときも、私はどう感じるかということを核にして臨みたいです。

設定解除 さま
ポイント、コメントありがとうございます。
 文章そのものについてよい印象を抱いてくださり嬉しいです。コーヒーを題材としつつも、半分くらいは書くことについて意識していたかもしれません。コーヒーをいれることと何かを書くことは、よく似ています。粗雑にすることは、かける手間をすべてゼロにしてしまいます。あえて選んでやることならば、受けとることも発することも丁寧に行きたいです。

芦沢 恵 さま
ポイントありがとうございます。

訂正履歴:
4段落目。喫茶店のオーナーから喫茶店のマスターに修正しました。14-11-23 12:31

戻る Home
コメント更新ログ