海にいけない/
イモコ
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
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kaz.
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㎡
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夏美かをる
まっすぐな心で素直に書いている感じがいいですね!
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鵜飼千代子
わたしも何か好き。惹かれます。
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アラガイs
文極でも何度か拝見しているイモコさんの詩ですね。独特な言葉使いにおもしろさがあります。上がっているのでちょっと批評めいた感想などを上げてみよう。
書かれてある事柄を概略してみれば、他愛ない日常生活を語りながら海に行けないもどかしさを表現しているって事でしょうか。よくカラオケで大声で叫ぶとか毎日見ているおじさんとのすれ違いとか、自宅での過ごし方とかが言葉を選択しながら独特な語りでいきいきと表現されていますね。この選択された表現に対しての独特な語り口や置き方が共感を呼ぶのだろうと思います。文章自体は独自にいじってはいない。置き方と云えばつまり文体による改行とか間の取り方ですね。たとえば(階段を上がってすぐの)普通に読めばぎこちない改行の文章も、空間に対する描写の置き方が、次へ移動する動作に対して効果的に働いているから読者はイメージの中に入り込めるのだろうと思います。この辺りは用いる助詞の扱いによっても作用してきますね。
しかし物足りないように感じる。ただ雑文のように読めてもうひとつイメージが起こされてこないのは何故でしょう。
これは思いを直接重複させて叫んでいるからではないだろか。
海に行けないから、冒頭と末尾で二度も直接語りかけている。一度でいいのではないか。ではどちらを取るのかと言われれば、わたしならばこの日常のもどかしさを打ち消すように強調された末尾の(海に行けないから)を残します。ここはイモコさんの個性だと考えたいから。。冒頭は直接(海に行けないから)と入るよりも、以前海に行った記憶その思い出の描写から入った方が文章はより起ち上がる気はします。やはり独特な語り口や拵えだけではより深く胸には響いてはこない、と云う事になるのでしょうか。
拙評にて失礼いたしました。
※追記 気になってもう一度読んでみました。やっぱりこの(海に行けないから)がインパクトを醸し出してますね。連分けの意味を考えたらすべての連のあたまにきてもいいところを、それではくどくなるので省略されて二度にしている感じが非常に強い。この文の作りならやはり二度は欲しいところですね。二連めのあたま辺りにあってもよいかな。そんな気がしています。上記の一度使い云々は訂正しますね。失礼しました。
作者より:
お返事みたいのってここでいいのかな…
はかいしさん、お久しぶりです。またお会いできて(?)嬉しいです(´∇`)
ありがとうございます。
設定解除さん、?さん、夏美かをるさん、鵜飼千代子さん、はじめまして。ありがとうございます(・∞・)好ましく感じていただけたようで嬉しいです〜
これから、よろしくお願いします。
アラガイさん、はじめまして…??(あってますか?)
丁寧なコメントありがとうございます。また日を改めてお返事させていただきます(・ω・)
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