反愛/ただのみきや
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- Lucy 
- 由木名緒美 
- 芦沢 恵 
- 殿上 童 
- ヒヤシンス 
気の利いたコメントをしたいのですが、私には難しく、ただただ凄く、緊張感を持った言葉達だなと思いました。言葉と言葉の間といい、行と行の間といい、いつもながら素晴らしいです。
- 梅昆布茶 
- ichirou 
- beebee 
- 北大路京介 
- イナエ 
- 渡辺亘 
- りゅうのあくび 
聖書は愛に満ちているのか?という問いかけが原点にあるのでしょうか。反愛というものでさえ許容するものが聖書なのだろうか?とかそのようなことのイメージが伝わってくるのが印象的です。深いです。クリスチャンではないのだけれど。


- そらの珊瑚 
- 砂木 
すごい迫力
地球の過去と未来
原発を思いました
- 泡沫恋歌 
- 夏美かをる 
- 陽向 
 
作者より:
 読んでいただきありがとうございました。

 松岡真弓さん、ポイントありがとうございました。

 有希穂さん、ポイントありがとうございました。

 芦沢 恵さん、ポイントありがとうございました。

 殿上 童さん、ポイントありがとうございました。

 ヒヤシンスさん、ポイントとコメントありがとうございました。
 何かを感じてもらえたなら嬉しいです。

 たけしさん、ポイントありがとうございました。

 梅昆布茶さん、ポイントありがとうございました。

 ichirouさん、ポイントありがとうございました。

 beebeeさん、ポイントありがとうございました。

 北大路京介さん、ポイントありがとうございました。

 イナエさん、ポイントありがとうございました。

 羽根さん、ポイントありがとうございました。

 亘さん、ポイントありがとうございました。

 竜野息吹さん、ポイントとコメントありがとうございました。
 愛は人格から流れるものなので紙で書かれた聖書の中にあるのは「愛について」
 の記述です。しかし神は愛であり書物である聖書の記述を通しても人に愛を注ぐ
 ことは可能です。しかし愛の源である神に心を開かないなら、愛についてのただの
 記述でしかない訳ですから思想的な影響力はあったとしても聖書が語る本来の、
 人を生かし人を造りかえる力を伴った神の愛(アガぺー《与える愛、一方的な愛》)
 がその人の内に溢れる訳ではありません。スイッチを入れても電源と繋がって
 いない訳ですから・・・失礼しました。神学的になりました。
 
 この詩のイメージは「ソドムのリンゴ」というものから得ています。
 同名の物語があるようですが、それではなく単純に言うとある種の昆虫が植物に
 作る虫瘤のことで、赤く小さなリンゴくらいの大きさになるそうです。ところが
 それを手に取って割ってみるとそこからは灰のような(小さな虫なのか虫の糞か
 不明ですが)ものが出てくるので、それが「ソドムのリンゴ」と呼ばれるそうです。
 わたしはこの話を大好きなファーブル昆虫記の確か7巻で読み心に残っていました。
 この詩のテーマは、愛し合っているつもりでありながら、実はただ互いを自己の欲求、
 を満たすために繋がっていた二人を一見おいしそうで美しいリンゴのようでありながら
 そこには甘さも喉を潤すものもなく砂漠が溢れている。そんなイメージで描きました。

 そらの珊瑚さん、ポイントありがとうございました。

 耳さん、ポイントありがとうございました。

 砂木さん、ポイントとコメントありがとうございました。
 とても興味深いです。その感じたことや解釈は決して間違っていないと思います。
 書く側が考えたり思ったりしたことは意識の上の表層にすぎませんから。

 泡沫恋歌さん、ポイントありがとうございました。

 夏美かをるさん、ポイントありがとうございました。

 陽向さん、ポイントありがとうございました。






 




 
 
 





---2014/07/14 21:51追記---

---2014/07/15 21:55追記---

---2014/07/16 19:53追記---

---2014/07/17 21:48追記---

---2014/07/18 22:17追記---

---2014/07/21 19:41追記---

---2014/07/22 20:16追記---

---2014/08/30 20:25追記---

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