快楽と死/beebee
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- あおば 
- 乱太郎 
- 夏美かをる 
- 芦沢 恵 
- 泡沫恋歌 
- 未有花 
- 北大路京介 
- ichirou 
- イナエ 
- ただのみきや 
- 殿上 童 
- そらの珊瑚 
どんな写真がUPされるのか、なかばわくわくしながら待っておりました。
素敵ですね。
生を手放すとき、最期に脳内快楽物質が用意されているときいて、人間の身体ってよくできているなあと思いました。
- りゅうのあくび 
- 渡 ひろこ 
- 三上あず 
- 梅昆布茶 
- nonya 
復讐を目論見続けることが生きるということのような。。。
- もっぷ 
 
作者より:
皆さん、いつもハクシュとコメントありがとうございます。

通勤前にアップするという無謀はやめた方が良かったかと、

写真は帰宅してからアップします。

うっ、!(◎_◎;)


--2014/06/14 09:38追記---

この詩は最初のフレーズがあって、
それを膨らましました。『手放す』という感覚、

基本的に人間にもブレーカーがあって、
容量を超えるとカチッて切れちゃう。

だから理性的に考えつづけても、リスタートを
繰り返て、しっかり考えて手放すことはできない。

そこが快楽に落ちる時はふっと簡単に理性を手放しちゃう。

それは、愛とか性とか執着とか、より命という
原始に近い部分では、考えて理解できないところ

に繋がっているから、のような気がするのです。
命に関わる想いって、手放しても繋がっているのか。

想いは切り離された念のようなもの?

分解して行くと普通の化学反応や物理現象に
なるどこに命が宿るのか。

歯医者に行くと思うのですが、
ノミで削って、やすりで研磨して、
手術という名の大工作業で身体は直される。

でも、そこに寄り添って命があるんですよね。
不思議です。

そらの珊瑚さんから、コメントで、
手放す行為にある、脳内快楽物質という

言葉をもらいましたが、きっとそんな作用が
発生する仕組みが命の不思議なんでしょうね。

そこに自分の立ち位置はどこにあるのでしょうか。

って、友人のコメントに触発されて、
長々と訳の分からない言い訳を書いちゃいました。

すいません。beebee !(◎_◎;)


---2014/06/10 22:31追記---


- れたすたれす さん、ありがとうございます。

- あおば さん、ありがとうございます。

- 乱太郎 さん、ありがとうございます。

- 夏美かをる さん、ありがとうございます。

- 芦沢 恵 さん、ありがとうございます。

- 泡沫恋歌 さん、ありがとうございます。

- 未有花 さん、ありがとうございます。

- 北大路京介 さん、ありがとうございます。

- ichirou さん、ありがとうございます。

- イナエ さん、ありがとうございます。
 
---2014/06/14 09:01追記---

- ただのみきや さん、ありがとうございます。

- たけし さん、ありがとうございます。
 尽きない情欲という言葉を書かれていますが、この年になっても
 原始の力からは逃れらません。『手放す』というイメージがあって
 それをベースに書きたかったんです。それは命にもかかわるような。

- 殿上 童 さん、ありがとうございます。

- そらの珊瑚 さん、ありがとうございます
 この詩については、写真をアップするのに少し迷っていて、
 最後は日比谷公園の夕暮れのペントハウスの門扉にしました。
 花のレースが好きなんです。

 『手放す』というイメージが気になって、手放すものって、
 それは想いが念として繋がっていくのかとか、
 分解して行くと普通の化学反応や物理現象になる
 どこに命が宿るのかとか、
 そこに自分の立ち位置はどこかとか、考えていたんですよね。
 って分らないですよね。 (≧∇≦)

- 竜野息吹 さん、ありがとうございます。

- 耳 さん、ありがとうございます。

- 渡 ひろこ さん、ありがとうございます。

- 三上あず さん、ありがとうございます。

- 梅昆布茶 さん、ありがとうございます。
 
- nonya さん、ありがとうございます。

 復讐するは我にありという言葉が好きです。
 やっぱり男の子は何にでも復讐するという気持ちが
 あるのかもですね。





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