海辺の丘陵で 〜Sせんせいに〜/オイタル
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 鵜飼千代子 
先日、高原にある馴染みのホテルに新しく出来た、バーに行ったのです。

これまで、わたしがお一人様でバーに行った事があるのは、一度きり。
詩の集まりの後、家に持ち帰りたくない思いがあって、東京駅のそばにある新丸ビルの高層階のバーに行きました。
今回は、2度目。

大概、行ったことのないフィールドに行くときには連れて行ってもらうので、どうやって行ったのか、どのようにしたのか、全部据え膳で、記憶を手繰っても、自分では行けなかったりするのですね。



今回は、わかっているホテルの新しいバーなので、そうした敷居も低く、困ったら直ぐに支配人に聞きました。

楽しい思い出が出来ました。

一緒に来てくれれば不安は無いのですが、担当のお仕事中だからね。

でも、楽しかった。
また行くと思います。



- 深水遊脚 
対話が優しいです。夏の空気、厳しい暑さでさえ柔らかく包んでしまうように。
- 街波 茜 
- 壮佑 
- 乾 加津也 
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後でコメントを書かせていただきます。^_^
---2013/08/12 21:02追記---
初連に繰り返される「腰かけて」が、読み急ごうとする読者から「ゆったりズム」を導き、せんせいとわたしたちとの対比で作品は進んでゆく。

雲や波の描き方からしてもエッセイ寄りだろう。また作品に流れる1日という時間運びを崩さない意図からか連の構造に跳躍はないが、これらを吹き飛ばすほどの、威厳ともいえる映像美、成熟の筆力が読み手の関心を捕えて離さない。
さらに、少年、釣り人、ご婦人など、一見すると無関係な配置が織りなす開放感(安堵感、ゆとり)が、誰でも包みこまれたくなるほど、作品の風呂敷を大きく広げたようだ。

 せんせい あなたがわたしたちに教えてくれたのは
 推し量ることではなく 段取ることでもなく
 信じることの健やかさと勇気


信じる(意欲ある)ことの尊さ、それは人が人生の折り返しを過ぎ、身辺整理(段取り)を考える頃にはじめて、だれの身にも、等しく会得できる真理なのかもしれない。

とか、書いてみました。生意気で失礼します。
- そらの珊瑚 
 
作者より:
鵜飼千代子様、コメントをありがとうございます。
  でも、楽しかった。
  また行くと思います。
私もそういうところに、足を運びたいです。

深水遊脚様、コメントをありがとうございます。とてもうれしいです。

街波 茜様、Astraさま、ありがとうございます。
乾 加津也様、コメントをありがとうございます。こんな風に読んでいただけるというのが、とてもうれしいことです。

そらの珊瑚様、袋タツアキ様、ありがとうございます。

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