ショッピングモール/
片野晃司
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
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春日線香
リフレインが気持ちよくて楽しく読みました。消費に関わる施設や場所に行くと、自分が消費しているのか、消費のうちで自分が費消されているのか、なんとも複雑な気分になりますよね。
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アラガイs
もの(食べられるのも食べるのも)のも…食べる野茂(冗談)消費するものされたもの。そうですね 。味覚触覚嗅覚…幻覚… リピートされるのがまさに日常的で煩わしい 。
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梅昆布茶
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壮佑
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鵜飼千代子
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ただのみきや
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深水遊脚
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こひもともひこ
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イナエ
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砂木
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るるりら
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ざらざらざら子
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乾 加津也
この作品に蛇のような道筋とくねりを与えたのは、(センターでなく)モールだろう
知識がないのでイメージでしか書けないが、生物学的には、ヒトとは性的育成(成熟)に完成されるものだろう。だから今日の(飽和と感じられる)服飾文化(ファッション)でさえ、性欲と食欲の傍らで営みの対象と化し、排泄でサイクルは一巡する。この象徴として巨大なショッピングモールがしつらわれた。
(ただし作者はこれを意図したのではなく、経験から帰納的に感じたように見える)
わたしは
北区画と南区画を対称に分割する遊歩道を歩くべきである。
北区画と南区画のカテゴリ分けがよくわからないが、この一文では、自らの意思にかかわらず自然の原理(あるいは商業主義的経済市場性でしょうか)を貴ぶ諦念にも読める。あくまでも感度中心のアンテナで食し食されるものたちの対称を強調したために、相互に魅せあう妖艶表現もおだやかに遮蔽されているようだ。その対称であるがゆえにわたしという視点ももはや一所にはとどまらず、マネキンから客になり、モールそのものにもなる勢いだ。
作品自体はひとつの思想に向かう収斂を求めているように見えるのに、拡散、揺さぶりの配置が私の脳内に幾つもの種を残す。
とか、書いてみました。失礼の段は平にご容赦を。
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Lucy
現代詩ですね。もうひれ伏してしまいます。
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たま
ところどころ、この詩のヒミツをうっかり言葉にしているようです。不要な誘引です。
ヒミツは口にしないで、読者の仕事にしたらいいと思います。
生意気言ってすみません^^
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衣 ミコ
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野澤 尚也
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杉菜 晃
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秋田の米はうまい
作者より:
皆様、ポイントやコメントを下さりありがとうございます。
お一人お一人にお礼を申し上げられずすみません。
訂正履歴:
文字コード変換のテスト
15-12-9 19:55
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