【HHM参加作品】「yo-yo「紙のおじいちゃん」について」/葉leaf
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- るるりら 
- N.K. 
フィクション(非現実)にリアリティを与えるのが、フィクション
の中の時間の力で、フィクションにリアリティを与えられた一形式
が、祝祭ともいえると言うようなことを読みとりました。目的合理
性と言うか規範性から逸脱させて祝祭の空間を作り出すのは、時間
の力や祝祭の儀式の順序のような秩序のように感じられました。取
り上げられた詩が素晴らしいのはもちろん、非常に示唆的で勉強に
なりました。
- アラガイs 
この詩から読みとる前半部の白い紙きれには、何故か描かれていない色のついた紙が見てとれます。
それは、これが自身の回顧から想起された過去と現在の映像の対比、つまりあなたがおっしゃる喪失によるネガティブと、自身明日を思うときのポジティブによる時間の経過を、読者自らも体験に重ね合わせて受容するからかもしれません。
白い紙きれとはまさにそういった今は亡き家族への愁傷感。それらの記憶は雲の切れ端の向こう。遠い空の余白を意味するのかもしれませんね 。奇手の無い方言の臨場感。刹那と響き胸に残るいい詩だと思います 。


- 鵜飼千代子 
冒頭の「詩のテクストは祝祭のテクストである。/そこでは、人間は何か現実的な目的のために消費を遅らせることがない。」

に、パラパラと発光しました。
なるほど、様々な「うた」は、そのように生活に根付いている。



yo-yoさんの「紙のおじいちゃん」。

広田修さんが評論の中で繰り返される、「人間が紙になるという暴力」。

冒頭の、
「おまえに綺麗な紙のきもの着せたったら/紙人形のように可愛いんやろなあ」
で、

「孫を紙人形にたとえるなんて、雛流しでもしたいの?」と、そこから先を読まない方も多いでしょう

わたしも、投稿数が多い場所で数を読む時にする、一連切りするかもしれないです。詩集であれば、巻頭詩の第一連で読み切り次の詩集へ、、のような感じですね。



そこが、この詩の「面白味」かもしれない。



はなから、「虫こなーずー、見えないあみーどー」のように「紙」で「結界」をしいていますから、後は徹底して「紙」を使っておじいちゃんを語る。



「人間が紙になる暴力について」気付いてくれる人への、聞いて欲しいひとりごとなのかな。





わたしが読みのがした可能性はかなり高いので、作者にとって歓迎する読者かどうかはわかりませんが、広田さんの評論により「紙のおじいちゃん」、堪能いたしました。



- こひもともひこ 
- 深水遊脚 
---2013/02/05 22:40追記---
構造分析がとても明快で無理がなく、詩を読むときに感じていることを丁寧になぞるようにこの批評を読むことが出来ました。詩作するうえでも参考になる文章だったと思います。
- 澤あづさ 

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