叙事詩??物語・詩??/……とある蛙
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- アラガイs 
しっかりと読ませて頂きました 。イタリアの詩人のことは知識になりますね 。ありがとうございます。


- ドクダミ五十号 
- N.K. 
>ファシズムから解放され彼は文字通り言葉を失って
の部分が気になりました。物語という視点は自分としては今のとこ
ろ一つの詩の中で「AがBをする」のような出来事が起きることと
う印象があります。そのような一つの詩における物語が、例えば歴
史(観)といった大きな物語を語ることや物語に対抗する物語を語
ることにどうつながって行くかと考えると、少々臆病になってしま
います。どちらかと言うと大きな物語と言うよりは、社会史のよう
な文脈で述べられる市井の人々の出来事を詩にするほうが、自分と
しては納得できるように思います。そのほうが、言葉を失う危険性
から離れられるのかもしれないと思ったりします。
 神話、特に日本的神話については、論じる人によって意見が分か
れるところだと思います。自分としては、国体護持のようなところ
に繋がる危険性を感じてさらにしり込みをしてしまうところです。
 非常に興味深いと思わされました。
- たま 
- beebee 
叙事詩いいですね。期待しています。ヾ(@⌒ー⌒@)ノ
- あおば 
 
作者より:
新貝 常 さん コメント・ポイントありがとうございます。
しっかりと読ませて頂きました 。イタリアの詩人のことは知識になりますね 。ありがとうございます。



ドクダミ五十号 さん ポイントありがとうございます。
N.K. さん コメント・ポイントありがとうございます。

※物語というものは良く分からないのですが世界観が当然前提にあり、その世界観に普遍性が要求されます。世界観があっち行ったりこっち行ったりでは物語にはならないと思います。

 個人的に古事記の神話に関して出雲神話の部分が調べれば調べるほど興味が沸いてきます。特に最近の考古学上の発見は自分が子供の時とは大変違う意味内容を出雲神話に盛り込むことができます。蘇我とスサノヲとの関係等々。国体護持にはほど遠い話になりそうです(笑)。私自身記紀グループを作って何編か書いています

たま さん ポイントありがとうございます。

※ それはそうとして パヴェーゼは物語・詩の形式では盛り込めない内容を短編小説に、最後には長編小説へ形式を変化させ、その過程で神話的な視点が生まれてきたようです。これは全て言葉を失わないために行っていたようです。死ぬ間際の友人への書簡のなかで今の自分の考えていることは「異神との対話」を読んでもらえれば分かるとしています。 本書にも自殺に至る経緯が余り詳しく書いていないので、その正確なところは知る由もありません。しかし、詩における普遍性獲得のために神話という視点から詩を書いた場合、全て人間は普遍性のなかに生かされているという考えが生まれそうです(本当か)。人間相互の関係たとえば男と女、男と男の関係の本質を一貫して考えてゆくような事態にはなりそうです。
 良く分かりませんが、最終的に書くべき言葉を失ったとパヴェーゼ本人が述べているので言葉を失ったことが自殺の原因と考えるしかありません。ただ、神話の果てには何もない白ぼんやりとした空間しかないのかも知れません。



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