風呂場の鏡/桐ヶ谷忍
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- beebee 
言葉を書くことは、自分を相対視することだと思います。
言葉を吐き続けることだと自分はおもっています。
吐き出した言葉は自分から切り離されて繋がっていく。

- 山人 
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- 深水遊脚
 醜くても生きる地獄のほうに執着してきた私にとっては、死への憧れは、理解しがたい感情です。でもこうして散文を読むことができて、多分よかったです。私にはいくつかのいじめで傍観者であった記憶があり、いじめについて最近冷静になれずにいました。PBにある文章を書きましたが、無意識に死を価値のないものと決めていた気がします。私自身、この考え方は変わりません。でもこの考え方をもとに人を変えようとすることは、その人に積み重なってきたものに何の価値も認めないものなのだな、と気づきました。
 多分受け入れられません。でも読めてよかったです。勝手な感想で申し訳ないです。
 
作者より:
>かのっぴさん


コメントありがとうございます。
これは皮肉でも嫌味でもなく、ただ単純に疑問に思ったのですが、死より生きる地獄を選ぶ、というかのっぴさんのお言葉に、かのっぴさんはどれだけ「生きる地獄」を味わってきたのだろうか、とふと思いました。
かのっぴさんがどれだけ筆舌を尽くして「かのっぴさんの生きる地獄」を表して頂いたとしても、かのっぴさんが私に共感できないように、私もまた共感できないと思います。
今更価値観を変えるには、歳をとりすぎました^^;
それでも、生への執着を持てる貴方のコメントを読めて嬉しかったです。
生き物は本来、そんな風に生に執着しなければならないものだとは、私も思っております。
---2012/08/14 16:09追記---

>beebeeさん


ポイントコメントありがとうございます。
書くことは自分を相対視すること。同感です。
私は、書くことによって、まぬけな話ですが、ああ自分ってこんな風に思っていたんだ、って確認できるっていうか。
思っていることを書くというより、書くことによって思っていたことが分かるんです。
だから、書くことによって切り離されて昇華できると同時に、自分の思いとして、例えばこういう散文の内容でしたら、怨恨や悲哀や憎悪等といった負の感情を溜め込んじゃいます^^;
まあそれが次の書く原動力にもなるので、ある意味楽しいです。

>なるみさん


ポイントありがとうございます。

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