宗教 みたいな?/砂木
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 吉岡ペペロ 
- ……とある蛙 
境界線など考えると難しいですが、宗教です。宗派とか関係ない形ですが(笑)。やらんと気持ち悪い慣習でも何か超自然的なものに対する畏敬の念という意味付けがあれば立派な宗教でしょう。くそ真面目な議論でごめんなさい(笑)σ(‾▽‾;)。
- るるりら 
日本映画の【ゴールデンスランバー】って作品の中で 主人公が「 人間の最大の武器は、習慣と信頼なんだ」って言っているのをなぜか、思い出しました。普通の暮らしをしていた主人公が 突然 逃亡者という立場になるのだけど、仲間との思い出や 習慣をたよりに生き抜く物語です。おなじことのくりかえしが救うのかも。
 
長文失礼しました。でも、私 脳が融けていたので この詩で すくわれました。
- アラガイs 
僕は宗教学者でもなければ文化人類学者でもない 。だからよくわかりませんが、特に歴史のある宗教。あの両手を合わす、また経文を唱えながら祈る姿は等しく宗教を越えて美しさを感じます 。文明が造りあげた究極の様式美とでも申しましょうか。しかし一言で美しいと決めつけてしまう捉え方。例えばアフリカやアマゾンの秘境に暮らす人類のことも思わざるをえません 。



- 唐草フウ 
うちは仏教です。
宗教って、何だろうっていうくらいのもので
いいのかなって思ってます。
ときどき胸のなかを流れる風 程度な(むずかしい・・・)
- beebee 
自分も育った家で毎朝水とごはんを上げる係でした。畏敬の念をもって毎日手をあわせていると、自分の中に自然と育つ意識があり、それは一種の宗教的な行為だと思います。今の自分の家には神棚も仏壇もなく、自分の子供達に伝え残したものだと感じて、実は残念に思っています。
それは、キリスト教徒が毎週日曜日に教会に家族で集まって牧師の講話を聞いて祈りを上げるのと同じだと思います。そこでは習慣的に家族への想いや神への想いが一体となって時間を掛けて醸成されていくのだと思います。
ただ日本の場合は唯一の神というより、道端の道祖神に祈るような、多神的で、全てに神は宿る的な、自然への畏敬の念を育てるので、自分の中ではキリスト教的な意味で宗教なのかと考えると少し違うと感じる点だと思います。

- 只野亜峰 
我が家でも子供の頃は朝のご飯とお茶と水とたまに一品を仏壇と神前に供えてたりしました。
特別な事がある日には庭にある御稲荷さんにもあげてたりしましたね。
我が家では生活にゆとりがなるにつれて自然と廃れてしまいましたが、良い習慣だったなぁと思います。
日本は無宗教なんて言われますけど生活に密着しすぎて実感が無いだけなのかもしれませんね。
ぜひとも続けて頂きたいなぁと思ったり思わなかったりします。
- そらの珊瑚 
- たま 
ひとつのテーマを追いかけていくつも詩を書くと、それがぼくの宗教になったりします。どちらかというと仏教に近いかも^^
- 壮佑 
- 梅昆布茶 
たいへん不信心者です〜。
- nonya 
- 北大路京介 
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- 哭翁
貴方が死んだらどっちの方へ旅立つんですか?
八百万の神道?
五百羅漢の仏教?
宗教行為をしてるのだからどちらかですよね。
まさか両方ですか。
僕は無宗教で無縁な話なので気になりました。
詩の糧にしますので教えてください。
 
作者より:
拙文を読んでいただき ありがとうございます

伊藤海彦様 ありがとうございます
 
……とある蛙様 普段つきつめて考えた事もなく 先祖に手をあわせるのですが
        神棚や仏壇に 自分はなじんでいる気がします。
        都合の良いお願いばかりの半端者ですが 毎朝の習慣は
        あなどれませんね。ありがとうございます。

るるりら様 おなじことのくりかえしが救うのかも。・・ああそうですね。
      変わらないものにすがりつく気持ちわかります。
      自分を裏切らないものが欲しいのかな。
      夏まっ盛ですものね。お体に気をつけて。ありがとうございます。

新貝 常様 トーテムポール 興味深いですよね。脈々と続くものは
      人とか機械とか自然とか 飲み込んでしまうのかな。
      美しく・・・寝ぼけないようにがんばりまっす!。
      ありがとうございます。




れたすたれす様 その日の朝はもう二度と戻ってこないですからね。
        ・・・・ぐっときました。まさしくそうですね。
        知らぬ間にどこにいるのかもわからない。
        ありがとうございます。

でこちゃん様 ありがとうございます。
 
三枝フウちゃま  ときどき胸のなかを流れる風 ・・ですね。
         あまり意識していないけれど なくては生きていけない
         もののようにも思います。先祖は大事ですね。
         ありがとうです。

beebee様 神棚と仏前に水やご飯を供えるって 何かがなんとなく育ちますよね。
     私は 実家にいる時より 嫁いでからの方が係りになっていて
     他家の仏様を自分の先祖とする儀式?のようにも思えます。
     なんとなくなじんできました。日々の生活の中で感じる力の源を
     神様と思うのかもしれません。やはり やおよろずの神なのかなと。
     ありがとうございます。
     


只野亜峰様 やはり お水やご飯をあげるというのは 習慣ですよね。
       習慣から信仰を学ぶといいますか。嫁としてやめるわけには
       いきません 笑。できる限り続けたいです。おこられる。
       ありがとうございます。

そらの珊瑚様 ありがとうございます。
 
たま様 詩も詩作の道という言い方もしますし 詩は祈りであるという方も
    いらっしゃいますし 求道や信仰とかさなる部分もある気がします。
    とても書きたいものがあると 情熱的でありながら禁欲的みたいな
    心の中に古くからの未知なる領域がうまれますものね。なんちゃって 笑。
    ありがとうございます。


Astra様 ありがとうございます
 
梅昆布茶様 信じるというのは なんでも難しいです。でも信じない事も難しい。
      ありがとうございます。

nonya様 北大路 京介様 箱舟様 ありがとうございます 

哭翁様 とりあえず 死にません。
    まさか両方ですか。・・そうですね 娑婆の思い出に やおよろずの神様に
    拝謁しつつ 先祖のいると思われる仏門にいけたらいいですね。
    死後は想像の世界ですが 亡くなった肉親のいる所に行きたいです。
    つきつめると単純に 家族と自然を信じているという事かなあです。
    言葉をかけていただきありがとうございます。お体に気をつけて。



yuri様 

短歌と散文の勉強をしたいと思って砂木さんの散文を探して読ませていただきました。

   ぎょえー! という叫びをお届けします 笑。勉強というよりご笑読下さい。
   家の先祖や 自分の生活にかかわる事に 生まれた意味を望むのが
   私の宗教観かな。命や魂を 望む という感じですかね。宗教というより
   信仰観といいますか。望む気を宿す 気の宿が宗教かな。ああ わからん 笑。
   拙文を読んでいただき ありがとうございます。




    
    
     
    
    


 




---2012/07/24 21:48追記---

---2012/07/27 20:43追記---

---2012/07/29 08:36追記---

---2015/01/18 09:53追記---

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