智慧の実スケープゴート説/salco
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- アラガイs 
ロイヤルアルバートホール最終日の夜、エルガーの威風堂々が始まると屈伸をしながら演奏に合わせる英国人のキャラって外様じゃないよね 。 「the last night of the Proms 」



- 木原東子 
salcoさん、あなたは誰? ぼんやり。。。
- N.K. 
興味深く拝読いたしました。旧約聖書は、ユダヤ教の聖典でもあり
ますが、おそらく、権威としてのキリスト教の歴史批判という立場
からお書きになっているものと思います。へたなカルトに引っかか
らないためには、非常に良い思考法だと思います。
まあ、でもカトリックやプロテスタントといっても、思想的には右
から左までいて、南米のマルクス主義を取り入れた解放の神学を奉
じて、ライフルを取って戦う神父さんや日本のプロテスタントの牧
師にも日本共産党に入党した方がおられたりといった事例もありま
す。このようなことをどうお考えでしょうか?院時代に真面目な民
青の人に聞いたら、なんか困っていたけれども…。自分にもよく分
からないのですが…。
 これはどうでもいいことですが、realiseはrealizeのイギリス綴
りですね。見かけたことがあります。
 
作者より:
サクラ伎様 : お目に留めていただきありがとうございました。 
新貝 常様 : お言葉も下さりありがとうございました。イギリス国教会は「外様」ではないのでしょうか。
「威風堂々」は英国人にとって第2の国歌とも呼ぶべき讃歌なので、何でも安直に猿真似する日本人が演奏すると私などは業腹ですよ。
RetasTares様 : お目に留めていただきありがとうございました。
唖須臾漢様 : お言葉も下さりありがとうございました。駄文など全部読むに値しませんよ。頭痛お大事になさって下さい。
木原東子様 : お言葉も下さりありがとうございました。はい、ただの猿です。ボトックスとヒアルロン酸注射の自己投資を考え中です。
N.K.様 : お言葉も下さりありがとうございました。realise、そうだったのですか。浅学お恥ずかしい限りです。
そうですね、権威化は必定ですから批判しようもありませんが、その蒙昧、無能ぶりについて戯れてみました。一方で、神を否定するのは寂しい事だという自覚も
あり、例えば先般のホイットニーの葬儀など見ておりますと、信仰を同じうする人達の世界では死後生がまさに実存なんだよなぁ、それは故人にとって何よりの救
いだよなぁ、等と改めて思いました。
政教分離は近代に生じた理念で、現実にはどの宗教も隠然と政治に関与しています。創価学会と公明党に限らず、人間社会は思惑と力学ですから。教皇もカトリ
ック圏には依然ダイレクトな求心力・影響力を持ち、対外的にも「象徴」「機関」として機能していると私は認識します。そしてラディカルな修道士達は、「汝の
敵を愛せよ」式より現実的な対処を選択せざるを得ない状況に在るだけだと理解します。謂うなれば「仁義」でしょうか。或いは、それは彼らにとって「行」とし
ての祈りなのかも知れません。キリスト教自体、原始は苛烈に弾圧されたカルトでしたし、そもそもイエス自身が万民の贖罪に死んだという事になっているので
すから、不当に抑圧され目の前で殺されて行く隣人を見て見ぬふりとレクイエムで処理する偽善者よりはよほど「人の子イエスの道」を踏襲しているとも言えるわ
けです。又、芥川龍之介が「キリストはジャーナリスト、共産主義者」と評したように、新約聖書には格差撤廃、利益の平等分配といった共産主義的思想があります。
彼ら政治的な修道士や牧師にとっての自己存在理由もまた信仰に「准じ殉ずる」事であるならば、それは主流派や高位の宗教者と違わない筈ですし、そのアプロー
チの為に採る方法論がよしんばテロリストと同じであるとしても、実地のベクトルが異なると私は解釈したいです。少なくとも無差別報復・攻撃ではないと。いずれ
にせよ、宗教も社会も無数の解釈派生とその相克ですから、私なども科学の方を参考にしたいと思うのでしょうね。

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