ピアノフォルテ/小池房枝
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 理来 
- 永乃ゆち 
- N.K. 
自動ピアノという存在は、自己矛盾を表しているのでしょうか?
あるいは、止揚される存在なのでしょうか?以前の自分なら自己矛
盾としか、思えなかったような気がします。でも弾いてくれる他者
がいるのならば、あるいは聞いてくれる他者さえいれば、自己矛盾
的存在は、自己と他者の共にある場での存在として、生き生きとで
きるのではないか?それこそピアノもフォルテも自在に。
 自己矛盾とは、独りでいることからこそ生じるもので、他者のい
る場であれば、他者を補い他者に補われて、自在にその場を生き生
きとさせることのできる契機なのかもしれないと、この詩を読んで
考えさせられました。
- ふるる 
人に奏でられる楽器はいつもデュエットできて楽しいでしょうね。
- そらの珊瑚 
- 乾 加津也 
- ただのみきや 
- 佐伯黒子 
 
作者より:
自動ピアノは見ていて本当に不思議です。 ピアノそのものも不思議ですが。
ぽこぽこしてるの見てて何してるの?/鳴ってるの。なんて会話を一度してしまうと今度はひとに弾かれてるときにああ弾かれてくれてるだなんて思ってしまったり。ピアノと透明人間さんと両方にやぁと挨拶してたり。
シンセとの違い。オートマタ。プログラミング。曲ではなく演奏の再生。ミクのキーボード。中国語の部屋のように真にピアニストであるかどうかを判定するチューリングテストピアノ版。楽器の器って「うつわ」でもあるんですね。それ自身は空っぽであるがゆえに受け止めて満たされ得るもの。マントラ、マンダラ、天上の音楽。ちょっと「ワン・ゼロ」で。
ああ、今、コメント読みました。例によって自動ピアノは自動ピアノ。何の比喩でもなく最近自分の身近に見かけるそれを書き抜いてみたものですがN.Kさんが読まれたように読まれることも予想/織り込み済みではありました。
ハルヒのユキさんが人型のインターフェースであるように、また、人間の誰もがそうであるように、ピアノもまたピアノ型のインターフェースであるのだろうなと。

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