作者より:
※皆さんたまに出るヒステリーみたいな物を読んで頂いてありがとうございます。
この詩の狙いについては後述します。
山人 さん ポイントありがとうございます。
つ ぐ み 。さん ポイントありがとうございます。
砂木 さん コメント・ポイントありがとうございます。
>というか誰も言い出す訳のない発想
>極めればこそ(笑)。見極めはなしで。
遊びの要素ありなので
beebee さん ポイントありがとうございます。
ヒロア木 さん ポイントありがとうございます。
恋月 ぴの さん ポイントありがとうございます。
乾 加津也 さん コメント・ポイントありがとうございます。
>物議を醸すのも一計、と思います
散文にすることも考えたのですが、あまり堅く考えたくなかったので。
とうもろこしの悲劇 さん ポイントありがとうございます。
たま さん コメント・ポイントありがとうございます。
>現代詩人・・、う・・ん、あまり考えたことないです。とりわけそんなふうには・・。
はっは、批判ではなく皮肉です(笑)→嫌われるパターン
※2文字言語と口語言語との区別、特質の理解は文学創作者に必要な資質だと思います。
大体、文字言語のメタファーは
誰に向かって発せられているか
不明ないかがわしさを感じます。
デリダに言わせると文字言語の特質は?距離?遅延?不透明さ?両義性のあいまいさだとしています。
この辺を曖昧な理解のまま作っているので現代詩は分かりづらく、つまらないのではないだろうか?
等と考えていた時期もありましたが、どうでもいいこってす(笑)
存在と本質さん コメントありがとう
でも
これは現代詩に関して書いたもので、俳句とか短歌とかについて書いたものではありません。この点大いなる前提の誤解があります(的外れの批判です)。
付言すると俳句短歌も結局江戸時代後半には腐っています。
>蛙氏が目指す生活詩こそ、発生は新しく、口語自由詩が出現した後のことだ。
生活詩って何ですか???聞いたことがないです(あなたの造語ですか、どこで線引きするのですか?)。それを僕が目指しているのですか???全く理解に苦しみます。
仮に生活を題材にしている詩という意味ではすべての詩があなたのいう生活詩です。
>つまり詩としての普遍性は保証されていない。
詩としての普遍性に関して、家族兄弟親子は普遍性のない題材だとお考えですか。社会生活をまともに行っている人には普遍性ある題材です。
>このことは、奇しくも東西の詩文化を見ても一致する。
ロバート・ブライなどは身近な題材こそ普遍性があるとしていますが。また、あなたの御説は洋の東西を問わず読んだことがない。
アリストテレスの詩学においてさえ文芸は再現行為だといるのですから。
自己の内面の開陳行為こそ普遍性などあり得ない。
僕の詩の題材は多岐にわたります。この詩は単なる皮肉とおちゃらけですが。詩を自分が賢いだのナイーブだの表すために描かない方がよいと思っているので皮肉を込めて書かせて頂きました(笑)。
仮想敵国にするのは勝手ですが、もう少しきちんと考えを整理してからコメント書いて下さい。→おっとこれで僕が勉強不足にだの一言で片付けるやつ多いのだよなぁ
---2011/07/13 18:31追記---
面倒くさいのですが、あなたの言っている生活詩と呼ばれる物をトンと知らないので文献をご教示下さい。なお、山之口貘について生活詩と呼ばれたことの文献もご教示下さい。山之口貘のお師匠さんは佐藤春夫です。佐藤春夫は生活詩なのでしょうねぇ。大正プロレタリア文学は知っていますが、プロレタリア詩はどなたが書いているのでしょうか???
私は生活詩を目指すなどと宣言したことがないのですがその根拠もお示し下さい。さらに
最初の2行づつ書いている連はディラントーマスへのオマージュなのですが、ディラントーマスもあなたの言う生活詩を書いているのですか?マニュフェストって何ですか???
ところで、ロバートブライは庶民派宣言をしたのですか?ちなみに読んだことがありますか?また、石垣りんが生活詩だという根拠は何ですか?文献をご教示願いたい。
あなたの言っていることは訳が分かりません。はっきりいって面倒くさいです。あなたは勝手な思い込みでいろいろなことを言い過ぎなのではないでしょうか?インチキとは言いませんが、思い込みすぎが激しすぎるのではないでしょうか?僕は詩は何かいても良いと思いますが、付き合わされる人間のことも少しだけ考えて書いて欲しいだけです。
---2011/07/14 09:59追記---
質問に答えて頂けないので、少しだけ存在と本質さんに言わせて貰います。日常生活に根ざした詩という意味であれば、そのような詩を書きたい気持ちはありますが、それを目指してはいません。ここのところの10編ほどの私の詩は1,2編生活を題材にした詩がありますが、それ以外は異なります。あなたのいわれるような生活詩を目指しているつもりはありません。
山之口貘は極貧時代が長かったので、貧困生活に関して書いた詩がたくさんあります。しかし、それをさして生活詩などと十把一絡げにするのは頭の悪い人間のすることだと思います。「ねずみ」などは有名な詩は決してそのような小さな世界を書いている物ではありません(一度読まれると良いかも知れません)。平易な表現による深い内容を持った詩を目指しています。ロバートブライのスポークンワード、フリーヴァースの世界も似た部分があります(これも一読をお勧めします)。
私フランス語やドイツ語全くわからんこともありますが、ディラントーマスやエミリーディキンソンなっども読むことをお勧めします。
また、飯島耕一の「虹の喜劇」鬱状態と痔疾との葛藤の中で書かれた詩人の苦悩というか なんというかも 一読をお勧めします。
もちろん石垣りんの世界や茨木のり子も一読をお勧めします。吉野弘も胸にジーンとくる詩をたくさん書いてます。
山本太郎さんのように男を感じる詩も良いと思います。神話の世界も大好きです(何とか古事記を題材に詩を書けないか試しています)。
私は詩に関して作品傾向で好き嫌いはありません。夜郎自大でゲスな気持ちの透けて見える詩が嫌いなだけです。10代までは仕方がないとしても25過ぎにそのような人間は読んでいて気持ちが悪い。
貴殿がそうならないことを願います。それともう少し実作した方が良いと思いますよ。老婆心ながら。