現代詩人
……とある蛙
俺達の言葉は
射程を持たぬ(山本太郎「行方不明の言葉」から)
詩は
言葉の意味が
無限定に使われて過ぎている。
しかし、
僕は詩を書く。仕事の合間
苦しみ楽しみある時は
僕は詩を書く。静かな朝に
深く悲しみある時は
僕は詩を書く。休みの午後に
心に深く感じる時は
僕は詩を書く。時間があれば
野心や飯のためでなく
僕は詩を書く。自分のために
人に対するやさしさ感じ
僕は詩を書く。人を愛して
誰かに愛されることもなく
僕は詩を書く。家族のために
子供の明日を心配し
僕は詩を書く。友のため
友の生きざまに涙して
僕は詩を書く。死ぬ間際まで
誰かに誉められることもなく
僕は詩を書く世界のために
今は何かが変わらなくとも
僕は詩を書く何かのために
ところが、
目的を見失って
言葉が中空を漂い
自己満足な形象になり、
いわく新しい表現
言い換えると人が知らない過去の表現
というか言葉にならない言葉
いわく斬新な発想
言い換えると独自の見解に基づく発想。
というか誰も言い出す訳のない発想
いわく深みのある表現
言い換えると浅いが泥沼にはまった表現
というかよさを気づかせないくらい深い穴蔵に潜り込んだ表現
いわく普遍性のある発想
言い換えると陳腐な発想
というか普遍的に詰まらない発想ー室内編
いわく…いわく……
学者的権威の芸術性
いっているのは自分だけ
あほか。
仲間内の
いわゆる深みのある表現は
一回こっきりの
だじゃれほどにも
人の脳髄を刺激せず
忘れ去られてしまう。
それが現実だ。
ちっちゃなサークルの
詩人の名前は知りもしない
知る必要も無く 知る気もしない
なんとかみつをほど
人に対する感銘力はもちろん無いし
たとえ五〇年経とう
一〇〇年経とうととね
だから、僕は詩を書く何かのために
その何かを見つけるために
※恋しちゃおうかな 現代詩人に
DE
何で?