作者より:
みなさま、いくらか、誤解されてることがあるかもしれないので、追記として。
私は、子どもを描いた詩が嫌いではありません。好きな場合もあります。
私は、自己愛を描いた詩があってもいいと思います。誰か凄いの書いてください。
たもつさんには異論がある、というか、実は私、「かわいい」という言葉を
使ってもかまわないと思っています。のだけれど、「かわいい」という言葉を使う
ために必要な手続きがこの詩ではなされていないのではないか、と思うわけです。
というわけで、現時点で私の考えが近いのは沼谷さんかなあと感じました。
あと、チアーヌさんの意見を聞きたかったりもしますが、
それはわがままというものかもしれません。
さらに追記。
私は、後半の「内臓の匂い」という表現を買います。
好みは別れるでしょうけれど。
露悪趣味とは、たとえば私が、自分自身を指して「石女」と呼んだりする、
そういったことなのかもしれません。
出産は悪ではないし、月経の血液も内臓も(ナマではありますが)悪ではない。
それらを動物的と呼ぶならば、人間は紛れもなく動物的。
とゆーか、人間は動物ですってば。
出産や月経をケガレと捉える視点を考え直したいと思う昨今です。
さらなる追記。
私は母性愛、正しく言うなら母性本能を信じてはおりませんが、
母性に嫌悪を抱いてはおりません。
母性というものはそれなりにあるもんだろと
まあ、そのくらいに考えています。
また、母性は子どもと同時に生まれ育つものであって、
もともとある本能的なものではないと思っています。
子どものように小さく産まれて大きく育つ母性もありましょうし、
逆に大きく生まれたのにどんどん小さくなってしまう母性もありましょう。
ごくごく私的な話ですが、私の母はへんなひとです。パワフルです。
私の母はずっと仕事を続けてきて、定年後も趣味と友人を多く持っています。
それでも私は、母に愛されたという自覚を持つ、幸せな人間に育ちました。
そして私は、自分の視点を男性のような視点とは思いません。
男になりたいとも思っていません。
今は思っていません。
(つまりむかしは思っていたのですな)
---2011/10/14 14:07追記---
こののち数年後、私は妊娠して出産した。医者も周囲もびっくりしたが
私が誰よりおどろいた。
出産して考えはちょっとだけかわった。
「内臓の匂い」という表現を私は買っていたのだけど、
出産してみたら「当たり前じゃん」という感想に変わった。
したがって詩の評価はすこし下がった。
何事も経験してみるものではある。