「生命至上」が、普遍の価値なのか?/カスラ
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 板谷みきょう 
- 岡部淳太郎 
唐突ですが、バルタン星人の
「セイメイ、セイメイトハナニカ?」
という台詞を思い出しました。

同時に、思春期の頃に感じた自分が生きて在ることの違和感
(自分の生が自分のものでないような感じ)も思い出しました。
- 深水遊脚 
- 生田 稔 
貴方のこの論文はよく解ります。かってエイズで人類は死滅するといわれたが、現在あまり問題にも話題にもならない。物書きは流行を追っているだけかも。
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- 塩水和音
死ねば誰でも、おそらく、本来の意味で平等ですが、生きている人の間には格差があります。
戦争や殺戮(死刑制度とかも)には、それを行う側の「快楽」という人間の本質的な、馬鹿にできない問題があると思いますけど。「意味」とは「快楽」に還元可能でしょう。
 
作者より:
ここで問うてみたかったのは、内容ではありません。何故、広くそう(生命至上)と思っているかです。そう言われるためには(生命)が何と言われるものであるか、考えなくてはなりません。(死)がどういうものか考えられていなくてはなりません。一見、普遍に思える価値→生命も戦争中は十銭五厘(?)菊の御紋の小銃より軽いと言われ、脳死が死かと言われ、未だ優生保護法あれど胎児は卵子は、人は何処までが生命かとか…堕胎は尊属殺人ではないのか、とかまったく、価値としてみるならば命とて相対的な価値でしかなかった事実があります。
しからば価値の側からではなく構造と形式の側からまず問うしかないのてす。

最初に問いたかったのは生きて在るとは、生存だけを言うのか?と。生きて在る、正確には、この生命とは、何を言うのか?

それだけです。

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