HHM2(第7回批評祭)!!!!!!![37]
2014 04/08 22:19
澤あづさ

>>33 こひもともひこさんへ。
※鵜飼さんとボルカさんへのレスもご参照ください。

>私の偏見の中に、「だれそれくらい読んどけ」という人物は『○○』の説明をしない(できない)というものがあります。

 タイプが違いますけど、>>34に事態をまとめた>>30の詩人様は、「お話がイミフすぎますので説明してください、先人の研究を侮辱するなら根拠出してください」というわたしの要求をガン無視してお逃げあそばされました。説明どころか「なにそれ読んで勉強しろ」程度のことすら言わなかったんですから、出せる根拠がなかったんだろうとしか推測しようがありません。
 もっとも、説明は労力を要しますし、間違ったことを述べたり誤解を招いたりしてはならないという精神的負担も大きいので、良心ある相手にその労を過剰に強いるのは、控えるべきだろうなとは思っています。

>批評ってなんだろう? と考えた場合に、私のやった形式分析と、読解・解題とはどちらがいい方法なのか。HHM2の提出作品の簡単な個人読解がこれ→LEGOの実践+こひもともひこの解釈文 http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=288807 になるのですが、論として成立させるのであれば、これも不完全でしょう。批評と、自分のやりたがることとのズレは感じています。

 んんーむ。
 ではわたしの反省につき合っていただいたお返し(そしてファーブルの紹介のお礼)ということで、ひとつ論評を。


◆こひもさんのヒヒョーとヒヒョー対象のお話◆
・ヒヒョー
 本文:http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=288723
 付記:http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=288807
・ヒヒョー対象『THE GATES OF DELIRIUM。』
 http://bungoku.jp/ebbs/pastlog/380.html#20131007_419_7061p

 率直に言ってわたしには、こひもさんのヒヒョーのデータは読めませんでした。
 だから「こひもさんがこのデータをどう読んだ(分析した)のか」を、やはり書いてほしかったと思います。それを書かなければ、データを出した意味がないと考えるからです。

 たとえば、わたし自身が『THE GATES OF DELIRIUM。』の詩形を眺めて真っ先に思ったのは、特に引用の部分に「三の倍数」で構成された段が多いということでした。
 テルツァ・リーマ(ダンテが『神曲』でつかった「三位一体」の押韻構成)ほど整っていないし随所で崩れる、というような印象が、不完全で罪深いがロゴス(言葉/論理/キリストの位格)には違いない光みたいな雰囲気を醸成しているように感じました。
 ですから、もしわたしがこの詩を分析するとしたら、「乱れた(あるいは淫らな)三位一体のロゴス」とかいう前提を、とりあえず立ててみるでしょうね。そしてその仮説を、段の行数について統計を取るなどの方法で検証するだろうと思います。
 そんな着眼はものすげーありがちだし、労が大きいばかりでつまらないので、もちろんヒヒョーは書きませんが。もし書くとしたら、聖書や『神曲』や相対性理論など「この詩を読むに当たり知っておいて損はないと思われる雑学」の紹介に留めるでしょう。海外文学に慣れてる人ならだれでもわかりきってるような雑学でも、知らない人は知らないので、紹介の価値がないとは言えません。
 対してこの詩を解題するなんてヒヒョーは、まったく無価値だと個人的に思います。「ヒヒョーの駄文なんか読むひまがあったら詩を読んだほうがいい」としか言いようがないからです。

 こひもさんのヒヒョーのデータは、こひもさん自身の恣意的な分類に拘泥しているので、わたしが注目した「三の倍数が多い」という情報を読むことができません。よってこのデータは、わたし自身の読解のためには「不要」です。
 ではこひもさんの読解はどうなのか、こひもさんがこの詩形に見出したものはなんなのか、データを眺めてもわたしにはさっぱり読めません。そういう意味でこのデータは、わたしには「無益」です。データを読むより原詩を読むほうが簡単です。
 ですから、このデータがどういう仮説のために収集されたのかという概論と、結果としてこのデータからなにが分析されたのかという結論がないと、このヒヒョーはわたしにとって「無益であるから不要である」ということになってしまうのです。
 その個人的疑問を払拭しがたいという旨を、コメ欄で述べました。今後の研究の参考になったら幸いです。
スレッドへ