LEGOの実践+こひもともひこの解釈文
こひもともひこ

この作品は、田中宏輔『THE GATES OF DELIRIUM。』の構造を分析した私の作品

・【HHM2参加作品】田中宏輔『THE GATES OF DELIRIUM。』の分析文またはLEGO
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=288723

の使用例として、私の解釈文を書き記したものだ。
・△や■の記号は分析文のまま使用。
・→は、こひもともひこによる解釈文。
・分析文での省略箇所以降は、同手法での解釈文は書かず。
・最後に、省略箇所までを読んだ私の感想文を載せた。

ここから解釈文を始める。
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『THE GATES OF DELIRIUM。』 田中宏輔

□→花瓶(花を飾るための器)が儀式(定まった作法)になる。
△→他人の書いた文章を読むことで自分の経験
△→になりうる。

□→嘘と真の考察。
□→ものとものとの比較こそが認識するということ。
■→時間とはなにか?

▽→會津八一の短歌。
■→文字と空白との比較。
■→何も書かれていない余白の効果とは?
■→ひらがなとローマ字との比較。
▽→同短歌をローマ字変換したもの。
■→映像躍起力の考察。
■→言葉をブロック・石として見る。
△→ブロックの配置とはすなわちリズム。
△→書き言葉は他人に広まり、継続して読まれる永遠性を持っている。

□→完全なものは完全なので、なにものからも影響を受けることはない。
□→思考を交錯させる。
□→自分を語ることは己を知ることでもある。

■→読書体験とは?
□→意志とは?

□→物から意味のあるものへ。
□→人と間とのつながり。
□→物を見て、考えることへの移行。

△→考えたことを実世界に表出する。
△→一つの言葉が生まれると同時に、他の言葉も生まれるのか?
△→確かにおかしい。

△→でも、言葉は存在している。
□→自分以外の人の書いた書物も存在する。
△→それを使って、石を並べかえてみる。

□→人に似ているものに人は興味を覚える。
△→笑いとは?
□→猿は蔑称としても使われることがあるものの、人はその猿に驚くほど似ている。
◇→猿の側からの視点と皮肉。
◇→格言。

■→言葉が生まれてから、これまで積み重ねられてきたことへの驚き。

■→自分の外側の世界こそが多彩だということ(個への皮肉ともとれる)。

◇→石の並べ方。
□→偶然も取り込んでの、石の並べ方。

▽→でも、言葉を知ったとしてもわれわれは忘れる生き物だ。(立原道造の短詩)
◆→言葉のつながり、文脈、時間、それらは固定されているわけではない。では伝達情報としての文章とは?
▽→組み合わせの力。(ホラティウスの短詩)
■→視点移動。音とは? を言葉の比喩として。
■→己を掌握する。

△→自己とは? 瞬間とは?
□→神は細部に宿る。
△→注意を払うこと。

■→水を文脈として比喩。

□→選ぶとは?
□→光とは?
▽→自分が恋する対象が光であってほしい。願望(?)。(与謝野晶子の短歌)

□→名づけとは?
△→名づけずにそのものを示してみるといい。
△→では、改めて名づけとは?
△→なぜ、その名で呼ぶのか?
△→あなたの名づけたものが全ての名づけにも成り得る。
△→そうだな、
△→「一つの」論理ではある。
△→妄想だね。
△→現実とは?
△→どっちやねん。
△→瞬間にだけ感じること(?)
△→つかのまの、
△→刹那の。
△→一つの。
△→理解。
△→どっちやねん。
△→まず、
△→夜とは?
△→暗いなあ。
△→しかし、
△→気づき
△→は、
△→どんなに大きな気づきであったにせよ、
△→見つけたときにはピンとこないもの。

▼→『マールボロ。』本人詩。
■→マールボロをコラージュした詩人と、文章を書いた友人との風景。
■→詩人の独白。
◆→詩人から話を訊いている第三者による文章。
△→第三者が語った詩人の独白を引用文で。
◆→詩人から話を訊いている第三者による文章。
△→他人の文章が自分の体験に成り得るか?
△→それは、
△→アリスや文献に出てくるウサギ(トリックスター)のことか?
△→詩人・友人・第三者を表わしているのか?
□→いずれにせよ、それは間違いではないのか?
△→ちがう。
△→ありえない。
△→トリックではない。
△→説得。
△→そもそも
△→現実とはなにかね?
△→主体と客体(?)
△→読書体験は現実ではないのか。
■→本人の現実感。世界の豊かさ。
△→眼もまた物質である。
■→『マールボロ。』から得た収穫。
□→言葉とは何か?
□→人にとっての言葉とは。
◇→作者は作品を現実世界に物質として表わすことにより、作品からの影響も受ける。
□→あなたにとっては?
□→詩人の本質。
□→言葉がつながりをもつ。
□→いままで見てきた多くのもの(書物)が、
□→はっきりと形を表わす。
△→見た・読んだその時よりもはっきりと、
□→ユリイカ!
□→世界はつながっている。
△→吠えろ!
△→己の新生。
□→世界の新生。
■→世界の破壊と、それにより他人を傷つけることもあるということ。
◆→メモ。
△→石の組み換え。
□→意味の新生。
■→組み替えたものは、組み替えられた元のものにあらず。
◇→心配することはなかったんだ。
■→並べ替えは、まったく異なる内容にできる。
■→悲劇と喜劇の逆転。即断の危険性。
■→独断・即断とは?
□→感情。
◇→感情の高まりによる個人への影響。
△→個へのこだわり(?)
△→それは
□→個に囚われるということ。
△→人は器。
□→豊かさは外側に存在する。
◆→田中宏輔本人の書いた全行引用詩集名が出てくる。
◆→好きな作品、重要な作品。
□→心とは? 考えるとは?
□→心の考察。
■→思考にはなんらかのパターンと呼べるのもがあるのか?
□→意味の主体。
□→意味の客体。
◆→思考の形成される過程の考察。
□→個人の習慣性。
◆→概念を受容する頻度と、ショックの強度から、
◆→繰り返しによる習慣と、一度の強いショックとは=に成り得る。
△→個性とは?
◆→個性的というものへの疑問。反射とは?
◇→霊を魂、家を己として読める。
◆→思考を習慣的なものと、習慣的でないものとに分けて考えてみる。
□→認識とは感覚するもの。
◆→思考を形成するものの仮の限定。
□→創造は新たに産み出すものなので、今ある言葉を使うことは創造とはいえないのではないか?
◆→詩人のやれることは、すでにある言葉の並べ替えだけではないか。
◇→これを生物・生命に当てはめてみてもいい。
◆→する? させる?
■→『マールボロ。』
□→言葉のほうが形を求める?
◆→先の、する? させる? を言葉の側に立って言っている。
■→『マールボロ。』
■→言葉視点でのものの見方から『マールボロ。』を見る。
◇→知れば知るほど、自分が何も知らないということがよくわかる。
◆→言葉の側から人間を見るという経験。
■→『マールボロ。』
■→言葉側から見た、意味の捉え方。
■→『マールボロ。』
■→偶然の重要さ。
■→『マールボロ。』
■→言葉を書く・切り貼りするといっても、そこには、ただ文字をつづるという行為以上のことが関係している。
■→『マールボロ。』
■→言葉と言葉をつなごうとするのは、言葉がそれを引き付けているからではないか?
■→『マールボロ。』
□→破壊は新生へつながる。
△→詩人とは?
△→詩人だとするのなら、
△→検証の大切さ。
△→さあ、実践だ。
□→煉瓦職人の必要性。
△→つくるということ。
△→新たな形と意味は、また破壊される。
△→きみはどうする?


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優れた詩論を、読み手に興味を持たせるような流れを作りながら組み立てられている作品だ。

 >さよ ふけて かど ゆく ひと の からかさ に ゆき ふる おと の さびしく も ある か
  sayo fukete kado yuku hito no karakasa ni yuki furu oto no sabisiku mo aru ka

まず最初は、ひらがなの音を取り上げ、それをローマ字に書き換えてみることにより、目で見て聴いた音の違いを解説している。耳で聴く音ではない。かな文字とローマ字、さらにはカナ文字・漢字へと変換して見るときに感じる、目で聴いた音の違い。もともと、詩歌というのは「歌(うた)」がはじまりなので、音と拍子・リズムがある言語芸術だった。西洋では韻を踏むものであり、日本では5・7調のように拍子のつくものだった。したがって、言葉・文章・詩歌の成り立ちから始めた内容だといえる。

初見では分からないが、「単語単位」のブロック(石)から作品をはじめて、徐々に長くなっていることにも注目。

つづいて、他人の書いた書物から影響を受けることと、それを忘れることの考察がはじまる。

「言葉とは何か?」、かつて書かれた文豪たちの言葉を借りながら、問いかけ、答え、また問いかけ、人が書物から受ける影響というのはなんなのか? ということへと展開し、やがて一つの気づきに到達する。それは言葉を「並べ替える」ことからはじまった。

『マールボロ。』は、友人の書いた文章を切り貼りした詩人が、コラージュ作品として作ったものだ。それは、その文章を書いた本人からの言葉の掠奪・強奪・強姦であったのかもしれない。しかし、詩人にとってはそれが一つの優れた詩、面白い試みであり、そればかりではなく、それまでの自分からの脱皮・飛翔・新生でもあった。ここまで到達できた詩人は、かなり広い視野を持つ詩人になれるだろう。だが、この詩はさらに展開する。

ここから再び「言葉とは何か?」という問いかけがはじまる。しかし、ここからの問いかけは、ステップアップを果たした詩人が、さらなる問いかけをする内容となっている。注目すべきは、人から言葉を見るのではなく、言葉から見た視点も含めて考察していることだ。それまでとは視野の広さが全然違う。したがって、最後の

 >きみはこれになるか?
  (ロバート・シルヴァーバーグ『旅』2、岡部宏之訳)

は、意味深長な問いかけといえるだろう。


散文(批評随筆小説等) LEGOの実践+こひもともひこの解釈文 Copyright こひもともひこ 2014-03-28 06:05:54
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