スレッドの書き込みログ

[305]りつ[2025 08/02 08:07]
洗貝さん、誤解させてしまいましたね。
私は現代のことを述べたのではなく、
人間の成り立ちからのことを考えたのです。
原始、人間がようやく人間になった頃、
最初に生まれたのは、“神”とされる存在への、舞いや歌ではなかったのだろうか?と思いました。
現代の歌や歌に伴うチャラチャラした振り付けの踊りにも、その片鱗はあるのかもしれませんが。
[304]洗貝新[2025 08/02 07:53]
よく言われることだが、
詩とは、言葉による舞踏である。
[303]洗貝新[2025 08/02 07:46]★1
踊りや歌はパフォーマンスですね。踊りや芝居は眼に見える表現で歌や音声は耳に聞こえてくる表現です。その点詩は時と場所を選ばない。
言葉で顕せない想いが詩たと表現できるのならば、その想いとは何か。
言葉で顕せない想いを言葉で表現することこそが詩と呼べるものではないのだろか。
[302]りつ[2025 08/02 07:33]
ことばで顕せない“想い”を顕したとき、それは詩となるのだと思う。
[301]りつ[2025 08/02 07:28]
本当に、魂を芯から揺さぶりたいなら、詩ではない。
それは、踊りや歌だ。
ならば、詩とは何か?
詩とは、ことばで“想い”を伝える手段だ。
“想い”が、宿っていない詩は、ただの記号だ。
[300]鏡文志[2025 08/01 19:43]
戦後の日本人と戦前の日本人では言葉に対する重味が違う気がする。
ネット詩の世界で一方で批判とは言い難い悪口をつらづら書きながら、もう片方で非常に器用なSFものを書くような方がいるのですが、内容の首尾一貫性とか、言葉に対する責任感が戦前の詩人と比べて違いすぎる気がする。難しい言葉を知ってますとか、教養とかそれ以前の問題で、太宰にしろ三島にしろ自分の言動が他者に与える影響というものに敏感で常に言動に首尾一貫性を持たせようと努力した人だと思うのです。
僕はある器用に立ち回る悪口SF作家を一貫して嫌いではなく、ものを書く人間としてダメだと言っている人なのですが、器用に書けている、上手である、文体が美しい。そこじゃないなあと。そんじょそこらの器用詩人では矢沢永吉の言葉に対する責任感と重みには勝てないと思う。こういう人って、公の場に立つ人間として簡単に卑怯は出来ないという強い緊張感の中で日々生きていると思う。それを僕は表現者として鏡たらんと思うし、例え大成しなかったとしても、ネット詩人にもそれを求めてしまう。
[299]鏡文志[2025 07/31 16:08]
新規の方で強烈なインパクトを持った俺様的な人が減ってきたような印象も受けます。
私は他のサイトで、集中的に非難を浴びたことが何度かあるのですが、その非難する人達の想いの一つに、詩への愛があると思ってます。
詩人と詩の愛好家は違うんじゃないかなあと思うのです。
インテリや詩の専門家、詩の愛好者が書いたよく出来た優秀な詩。それより私は矢沢永吉が一言放つ『ヨロシク』の方に詩を感じる方です。
心に響く言葉を放つのに、勉強は必要ないし、学問も必要ない。キャリアや履歴さえ必要ありません。ホームレスでさえ、素晴らしい詩を書くことが出来る。
ネットの中でさえ、私はそう言う普遍性を持った詩を読みたい。
私感ですが、私の世代に一昔前の尾崎豊のような、狭い世界の垣根を振り払うような詩人は出てこなかったと思う。その原因の一つに豊かがあったとすれば、これから起こる予感をうかがわせている大不況時代から、人を思わず惹きつけるものを書く詩人が出てくるのではないか? 戦争が起きたり、人が死んだりいいことではないと思う人はいるでしょうが、私はどうしても期待してしまう。
[298]洗貝新[2025 07/31 05:50]
せっかく書いたのに送信できませんでした。笑
何を書いたかって?
ここんとこずっとテレビ番組がつまらない、とか、
お笑い芸人やタレントをダメにしたのはメディア。
特にテレビのトークショーやバラエティ番組の功罪が大きいね。とか、
あと
詩集の時代は終わりました。とか
Ai使って歌や音楽だけじゃない
直接語らせてみましょう。
男性や女性になって
しかもあるとき宇宙人にもなったり
化け物になったり~etc.
頑張って自分の生声で録音してる人もいるけど、
演出声質が、ちょっと違うんじゃないの?
とか思うことも多いのでありまんす。
なので
ここは苦労せずにAiに頑張ってもらいましょう。
だけど本当は楽なコとしたらあかんねんてなるのが普通だけどね。
いまの芸人タレントたちなんて名前ばかりで楽なことして稼いでるからね。
政治家も同じかあ。
みんなそうだ。
イヤなことはみんなAiロボット様にお預けします。
の時代は目の前なのだ。笑