荒川洋治を読んでみる(一)『水駅』
角田寿星

1958年の青野季吉(すえきち)のモルダビア紀行になぞらえた、仮想の夫婦旅行。モルダビアとは現在のモルドバのことです。モルドバはウクライナとルーマニアに挟まれた黒海西側の内陸国で、1992年に旧ソ連から独立。東にドニエストル川、西にドナウの支流であるプルート川が流れています。
モルドバで最近おなじみなのが…そう、『恋のマイアヒ』のO-Zone、あれはモルドバ人で結成されたグループでしたね。マイアヒの歌詞もモルドバ語だそうです。
モルドバは農業国で、主な産物はブドウ、テンサイ、あとは酪農。ワインの輸出が盛んで、気候は北海道に似た土地だそうです。

…とここまでモルドバに関する基礎知識を蓄えておいて、この美しい一篇を読み進めていくと、ある違和感が湧き起こるはず。
この詩に横たわる世界は、みずみずしい温帯気候のそれを連想させます。「稚(わか)い大陸」というのも、地質学的には思いっきり間違ってる。たしかこの近辺は旧ローラシア大陸のもっとも古い部分で、地震なんかもほとんどないはずです。
荒川の奥さんが「しきりに河の名をきい」てるのも、むべなるかなです。作者夫婦が下っているこの河は、ドニエストルでもプルートでもないんだよね、きっと。彼らの視界に広がるこの豊かな「瑞の国」はモルドバではない。しめやかな温もりを保ちながらもけして湿度は高くない、初夏の風景です。ぼくはベトナムのメコン川を連想したけれども、少し違う。

“荒川さん、この河の名は何ですか?”
この詩の世界に迷いこんだぼくは訊ねるでしょう。この河の名は、作者だけが知っている。ただ、以下にヒントのような文が連綿と続いて、ぼくはこの河がどのようなものであるか、類推することができます。
「だがこの水の移りは…即ぐにはそれを河とは呼ばぬものだと。」
「青野季吉は…水の駅を発った。その朝も彼は詩人ではなかった。」
からは、ことばという水が流れてポエジーという河になっているようだし、
「妻には告げて。」
からは、妻だけには河の名を明かしているということは、ある程度個人的な人生という河であることも考えられます。
また過去から未来へと流れる時間の概念のような文も散見されます。

だいたい、『水駅』ということば自体、ぼくら日本人には馴染みが薄い。駅制というのは、奈良時代に律令制が確立されて東海道やら西海道やらが制定された時の交通施設なわけですが、その際どういうわけか、有史以前から盛んに使われていた海路はほとんど無視されて、当時まだ発達していなかった陸路が使用されたんです(おそらく中国の猿真似でしょう)。おかげで日本における水駅の遺跡は最上川流域に少数認められるのみで、ほとんど一般的でないんですね。まあ、案の定、律令国家が制定した陸路は早々に崩壊して、海路と水路と陸路の折衷となり、駅はやがて津や市に取って代わられたんでしょう。
…余談ですが、とある詩人さんから、『水駅』とは朝鮮地方のことばである、と教えていただいた記憶がありますが、残念ながら真偽の確認が取れないままでいます。もし御存知の方がいらしたら、御教示ねがいます。

当時流行してたともいえる、作者を含めた若者たちの左翼指向は、この詩では巧みに隠されているようです。とは言え、青野季吉はバリバリのプロレタリアート文学者だったわけですし、荒川の初期詩集における“旅先”は、旧ソ連領内の東欧、中央アジアから中国まで、モロに共産圏内を行ったり来たりしてるんですね。それは当時まだ誕生して間もない社会主義の、理想郷となる可能性を秘めた「稚(わか)さ」を感じていたのかもしれません。
30〜40年くらい昔は、北朝鮮は新しい未来を体現する理想郷であり、独裁制から脱却できてない韓国が悪者だったそうです。しかも読売系のマスコミが、そのPRにいちばん熱心だったとか。今じゃ読売が北朝鮮批判の急先鋒だもんな。なんか隔絶の感がありますね。

ところで、この詩に限らず、荒川の詩には荒川独特のことばや語法がここかしこにちりばめられています。そこら辺りを、なんとか解釈やら解説やらやってみて、解読の助けとか、語彙を広げる努力とか、そんな足しになったらいいな。

「半歳のみどり」…年々歳々ということばもあるように、半歳は半年の文語的表現。意味を言葉通りにとるなら、春から秋にかけての緑、かなあ。どこかからの出典があるような気もする。

「知行の風」…支配するという意の知行地と、知り行う、のダブルミーニングだろうね。ま、そういう風なんだ。次連の国境にかるく掛っていると思う。

「むねのしろい水」…むねは棟か胸か。ふつうに読めば棟だけど。

「肱を輓いて」…まーむつかしい漢字をつかうねー。肱はひじ、またはうで。輓はひっぱること。挽歌と輓歌は、同じ意味。


散文(批評随筆小説等) 荒川洋治を読んでみる(一)『水駅』 Copyright 角田寿星 2006-09-30 22:37:31
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