荒川洋治を読んでみる(一)『水駅』/角田寿星
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- いとう 
- みつべえ 
- 前田ふむふむ 
とても、面白い解釈ですね。
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- 恋月 ぴの
安田講堂が陥落した際に荒川は20歳だったから新左翼(左翼ではありません)の影響を受けていたのかもしれませんが、そのような見方があるとは思っていなかったので意外でした。

>それは当時まだ誕生して間もない社会主義の…

社会主義運動は戦前からあったわけですし、荒川が仮に社会主義に何かを感じていたとしても、それは「文学も含めた社会主義運動全般への惜別というか絶望」であって、オマージュだとかシンパシーでは無いと考えたりします。

でないと荒川あたりから「我々」から「個」へ傾いていったとする現代詩の潮流への説明がつかなくなる気がします。

 
作者より:
ありがとうございます。

緑川ぴのさん。
なるほど。新左翼についてはぼくはよく知らないので、気のきいたコメントは残念ながらできません。
ただ当時は、社会党や共産党がデカい顔してたし、スターリニズムは既に批判されてた(だろう)し、現代よりも左の傾向に日本社会全体があったとは考えます。その中ではこの作品群は、やわらかで新しいナントカ主義の憧れがあったのかな、と考えます。
ほら、荒川の「旅先」は共産圏のなかでも辺境にあたる地区だし。

現代詩の潮流に関してですが、政治的な側面だけでは語れないんじゃないかな、と思います。文学者の発言力、影響力の低下が主な原因ではないかと。政治はその中の一部なんだろうね。たしかにネルーダとか考えても、政治性は文学の強力な武器ですけど。
荒川の作品が「個」の作品である、ということなら、賛成です。難解である所以も、そこらあたりにあるんだろうね。

訂正履歴:
あまり役に立たない用語解説、追加。06-10-16 23:49

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